然るを訊く
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    [20120509]

    長野駅から直線距離にして約2kmという場所の
    正覚院に平安期の十一面観音があるということを知り、
    初春の時期に小布施の「桝一客殿」への訪問と合わせて
    立ち寄って本堂内にある収蔵庫に祀られた
    十一面観音を拝観させていただいた。



    平安中期ころの作と感じ、やや下膨れの観音像であるが
    小顔であり、その小さな顔から徐々に視線を下に持っていくと
    平安初期の隆々とした量感ある腰まわりが現れてくる。





    貞観から藤原への過渡期の仏像としては
    このような人間味のある表情というのはとても珍しいものだ。


    この十一面観音のまわりには数多くの破損仏が雑然と
    並べられていたのであったが中には平安初期にも
    下るのではとおもわれる像が紛れていた。







    収蔵庫の横には見上げるほど高いところに伸びた階段があり
    その先の円通殿に当初この十一面観音は祀られていたのだという

    階段の下には月光殿がありそこには
    聖観音立像が祀られていた。



    暗がりだったためよく拝観することはできなかったのだが
    こちらも平安期の聖観音立像で間違いないであろう

    当記事に記載することはできないのであるが
    「お兄さん詳しいから、本堂の仏像見てもらいたい」と
    最近、住職が檀家の人からいただいたという
    阿弥陀坐像を特別に見させてもらったのだが、
    これが鎌倉初期あたりの中央仏師作のいい像であった。

    もとは善光寺の塔頭であり、現在は真言智山派の寺院であるが
    かつては天台宗の寺院であったと伝わっている。



    長野市には日本に名高い善光寺があるのであるが
    その寺格を裏付けるかのような立派な像が少し離れた
    山のうえに隠れていることがわかりとても良い訪問となりました。




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    [20120402]

    “蔵の中に宿泊する”
    そんな体験ができるホテルが長野県にあると聞き
    東京から中央道を経由し3時間半かけて訪問した

    場所は長野県の北部、小布施町。

    高井(市村)鴻山が江戸末期に創業を開始した酒蔵は現代風の
    デザインホテル【桝一客殿】として客人をもてなしている。





    全体的に“黒”を基調としており重厚感のある佇まいをしている
    ホテルマンは全て男性、そして皆、法被を着ており酒蔵の
    イメージを崩さない。




    宿帳に記入をし部屋に案内された。
    部屋は前評判通りの酒蔵である。
    部屋番号はなく、この小布施町に4年間滞在をしたという
    葛飾北斎の絵がその部屋を指し示す目印となっている










    部屋は外観の和のテイストとは打って変わって洋風のデザイン。













    桝一客殿の同じ敷地内にある
    蔵部(くらぶ)という施設で夕食を食べる





    メインのみぞれ鍋、釜炊きのご飯、また小布施町は
    山の中だが刺身もうまかった
















    以前は酒蔵で仕込みの湯気が立ち上がっていたが
    現在は料理の湯気が立ち上がっていた。



    蔵部の中には、当時の酒樽そのものが置いてあったが
    ここに何人入るのだろう、と考えてしまうほど巨大なものだった



    夜には栗菓子というこの地方の名産のお茶菓子が
    差し入れられた。ごろっとした栗は食べごたえがあり
    蔵部で満たされた胃袋は更に充実することになった



    朝食はまた桝一客殿とは別棟であるレストラン傘風楼で
    米粉パン、水菜と林檎のジュース、イタリアンオムレツなど
    和のテイストとはまた趣の異なるメニューで楽しんだ

    歴史の昔と今をうまくコミュニケーションしている場所だと
    感じた。日本酒は飲んでばかりなので、
    たまには“呑む”ではなく“過ごす”もいいものですねw





    [20110926]

    薬王寺から天竜川を隔てた反対側
    小式部城山(こしきがじょうやま)という約1100mの山の
    麓にある、無量寺に祀られている阿弥陀如来坐像を訪問した



    小高い山のうえに立てられた収蔵庫からは
    箕輪の街並みが春の温かい日差しと
    山々を渡る、澄んだ空気のもとに一望でき
    とてもキラキラとした情景を映しだしていた

    若いお坊さんに収蔵庫をあけていただき
    国の重要文化財に指定されている阿弥陀如来を目の前にした



    藤原様式の地方的解釈の様相が伺え
    眼は凛々しく彫られ
    この時代によくある半眼は弱く
    もしかしたら眼に効く阿弥陀如来、などと
    信仰された時期もあるかもしれない

    もともとは近くの阿弥陀堂に祀られていたが
    近年立派な収蔵庫が立ち、現在は
    整えられた立地で阿弥陀如来を見ることができる



    若いお坊さんからは阿弥陀像を拝したあと
    本堂へ案内され、かつては戦時中に本堂を
    疎開してきた人々のために開放していたと話をいただいた



    阿弥陀像はそういった大変な想いをしてきた人々に対しても
    大きな眼を見開き、話や祈りを聞いていてくれたのだろう


    【天竜川】wikipedia

    天竜川(てんりゅうがわ)は長野県から愛知県、静岡県を経て太平洋へ注ぐ天竜川水系の本流で、一級河川。
    流路延長は213km(日本全国9位)、流域面積は5,090km?(日本全国12位)。

    諏訪湖の唯一の出口である長野県岡谷市の釜口水門を源流とする。
    長野県上伊那郡辰野町から始まる伊那谷を形成し、一部愛知県をかすめ、静岡県へ抜ける。
    浜松市天竜区二俣町鹿島で平野部に出、浜松市と磐田市との境を成しつつ遠州灘に注ぐ。
    流域は急峻な地形のため、古くから「暴れ川」「暴れ天竜」として知られ、多数のダムが存在する。
    江戸時代、江戸の建築用木材が流域の山林で伐採され、天竜川を筏で下って届けられた。


    無量寺
    〒399-4602
    長野県上伊那郡箕輪町大字東箕輪4307
    0265-79-3051
    ※事前拝観予約※


    大きな地図で見る




    [20110703]

    下伊那の奥にある程野地区にある
    薬師堂にある薬師像がどうにも心に残り
    飯田市内から約1時間の行程で訪問した

    丸山さんの本に出ていたこの薬師像がどうしても
    気になり遠いところまで足を伸ばしてみた



    教育委員会を介して拝観のお願いをし
    予定よりも1時間ほど早く到着する

    東に南アルプス
    西に中央アルプスいわゆる渓谷のような場所にあり
    個人的には土砂崩れなどが多かった地域ではないかと想像する

    それを表すかのように程野薬師堂は高台にあり
    麓の小川沢を見下ろす位置に立っていた





    現在管理をされている山崎さんを少し
    早く呼び寄せることになってしまったのだが
    “全然気にすることないです”と朗らかな
    笑顔で迎えてくださった



    堂の戸を開け放ち山崎さんの手により
    厨子の扉が開く

    とても驚いた
    自分が持っていた本に記載されていた薬師像の
    面影はものの見事に全く残っていない




    唯一、感じる部分としては隣にあった


    “これ修理だしたら、こんなんなって帰ってきちまった”
    と残念がっていた


    詳しく話を伺うと修理の発注先が京都や奈良などの美術院ではなく
    近所の能面師に依頼をしてしまい、“現在の姿を残したまま古いところだけを修理してくれ”
    と伝えたハズなのにいざ出てきたところこのような
    彩色鮮やかな像がでてきたのだという


    このような地元民であり
    仏教に帰依していない山崎さんの反応を見ていてすら
    これがもとの仏像の姿だから、、という人もいるが
    我々の心のなかには時代の積み重ねを重要視する意見が
    多いように感じる



    各地の仏教美術の知識者が訪れるが皆口を揃え
    昔の姿にしたほうがいいというが地元民としては
    どうしていいのかわからず困惑しているように思えた


    薬師堂の天井には薬屋や商店などおそらくこの
    薬師像を修理した際に寄付を募った証明のようなものだった



    能面師、というキーワードが出てきたことで
    お?!と思ったのだがこのあたりの地域では
    霜月祭というものが恒例行事として残っているのだそうだ

    ※薬師如来像85.7cm 室町時代


    拝観が終わったあとは
    近くにある“村の峠”にて小川沢の流水で作られた蕎麦をオーダーしたのだが
    これが水々しく元気になりそうな味でとても元気が出た





    そして村の峠に上記の霜月祭の写真が展示されており
    ぜひ訪問したいと心に決めた


    ■霜月祭 丸山氏の書籍より

    上村地方には、村人たちの信仰の強さを物語る霜月祭が古くから伝わっている。
    (旧暦霜月)の寒をついて湯立神楽を中心に夜を徹して行われる神仏混渚の祭りであるが、
    この土地の素朴な信仰し」エネルギーをそこに見ることができる。








    村の峠での一服のあと飯田市の南にある長野県下條村にある
    合原阿弥陀堂を訪ねた



    ここも教育委員会経由でご紹介いただいた松下様が
    すでに新築された公民館を開けていただいており、
    中の阿弥陀如来像を拝した



    像高87cmの典型的な藤原式の阿弥陀像であり
    うつむきは柔らかく、穏やかな表情をしている



    若々しい阿弥陀でありやや男性的な印象も受ける



    扉の上にはかつての阿弥陀如来像の写真が出ていたが
    黒々しい漆だろうか、が露出しており
    これを忍びないとと思った地元住民が平成5年に
    文化庁主任調査官松島健さんと明珍昭二さんに
    修復を依頼し、現在の当時の素地を見せる姿になった



    合原阿弥陀堂縁起-パンフレットより-


    堂の創立と開山僧または開基者については、
    これをたどる史料に欠き全然不明という外はない。
    室町時代初期から戦国時代末期にかけて、甲州武田氏の庶流下条氏がこの地に来
    て付近を押領し、対岸吉岡城に在って阿南地方の雄として栄えた。同氏は城の鬼門
    に当たるこの阿弥陀如来に帰依し、尊信したと伝えられるが、像の造営はそれより
    ずっと古いのであるから堂の創立は下条氏以前である。

    元禄16年、合原村と入野村に境論があった。同年3月25日に幕府裁許状を裏書し
    た地図には数株の老木の下に阿弥陀堂と周囲に15戸の人家が描かれていた。現在は
    大木もなく戸数も8戸に減っている。

    江戸時代には境地内外に松、杉の老木が多く茂生していたといわれ、維新の頃に
    切り払われ松の根を掘り、あかしを採って上納したという。

    境内は南北4間、東西8間にして中央北寄りに阿弥陀堂があり、堂は改築前は単
    層の寄棟造りの藁葺で間口3間、奥行き2間半、中央奥部に1尺5寸に3尺の張り
    だした須弥壇があり、厨子内に坐像が安置されていた。また、左右両側の壇上には
    33個の石像観音がならんでいた。その他堂の東側には、秋葉山象頭山ときざんだ石
    碑と如意観音を半肉彫にした石がならんでいる。堂の後ろ北側には江戸時代には郷
    蔵があったといわれるが今はない。

    なお堂の南西の断崖部の字地を阿弥陀平といい、西側崖部の下を通っている旧街
    道(遠州街道)に接する西の水田地帯には阿弥陀前の字地もある。
    合原の区中では年々3月13.14.15日の3日間はお祭をして念仏を申し上げてき
    た。その時に使った百万遍の大数珠も残っている。
    平成3年3月28日に村、地区の方々の熱意により、現在の阿弥陀堂が改築され、
    仏像も平成3年9月12日に東京にて修復がなり、帰座され現在に至っている。






    修理による2つの結果を見たが
    個人的にはやはり時代の変遷を残す修理のほうが

    日本人の美意識に近しい気はしている





    [20110609]

    長野県のあるお寺を訪問したのが
    寺院名は敢えて伏せさせていただく

    その理由は後述する

    山間の中にあるこの寺院は
    国道から野を分けいった山の麓にある



    昨年12月に先代のご住職が亡くなり
    現在は近くに住むご子息が寺の管理をなされている

    しかし管理といっても
    ご子息はお寺とは全く別の仕事を担っており
    鍵をもっているだけであった

    仕事のわずかな合間を無理を言ってお願いを
    させていただき本堂を開けてもらった



    本堂の中央には厨子がおかれご子息の話であると
    60年に1度開帳するという聖観音が収められているが
    ご子息も見たことがないのだという

    先代の住職のときに御開帳があったときの話では
    現在は朽ちてしまい木片と同様の
    観音像があるだけだという

    そして本堂左の暗がりに
    半丈六の阿弥陀如来が鎮座していた



    阿弥陀如来は典型的な定朝式でありながら
    引き締まった潔さを残す

    肉髻はやや高く、先代住職の時に修理した
    真新しさが残念ではあるが量感溢れる仏像である

    脇の壁はヒビが入り
    本尊のすぐそばにまで
    老朽化が進んでしまっている

    そして裏山にある薬師堂にあがった
    荒廃がさらに進んだ光景に驚愕する



    ボロボロの薬師堂は
    なんと国の重要文化財に指定されている
    薬師如来が納められているのだそうだ

    しかし荒廃が進みすぎて
    危険なため拝観をすることはできないと
    伝えられた



    近々、県の教育委員会が現状を見に来るのだというが
    今まで国の重要文化財に指定されながら
    機関が行ったことは消化器一本を送ってきただけだという



    本寺は戦後まもなく無住の時代がつづき
    先代の住職が就いたものの檀家数は数件
    かつ奥まったところにあるため
    観光客もまず来ないのだそうだ


    昨年住職が亡くなってからというものの
    お寺を維持をすることが全くできず
    本堂へ続く道にも雑草が自由に伸びてしまっていた


    ご子息はこのまま荒廃していくのも
    この像の運命なのかと思いながら
    なんとか維持をさせていきたい

    しかしお寺を存続させたとて
    食べていくのはかなり困難なことであることは
    目に見えており何も手立てがなくなってしまっているのだという


    自身の父を含めこのお寺を守ってきた人に
    申し訳ないという気持ちもおそらく
    あるのだろう




    自分にはなんとかしてあげたいという
    気持ちがふつふつ湧き上がってくるのだが
    自分はご子息の悲痛な叫びに
    ただただ、うなずくだけしかできなかった


    絶望感にも似た視線で
    薬師堂を眺めていた




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    株取引の流れ (11/20)
    とても魅力的な記事でした!!
    また遊びに来ます!!
    ありがとうございます。。

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