然るを訊く
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    [20111221]

    中津川のインターチェンジを降りて
    中山道への続く中津川バイパス“松田”の交差点を曲がり住宅街を進んでいくと
    曹洞宗寺院 寿福山東円寺が現れた



    高台にある東光寺の境内からはとても綺麗に
    中津川の街並みを見渡すことができた


    『雨が降ったら開けることができない』と
    事前に言われていたため、澄み切った中津川の市街の
    景色とともにほっと胸を撫で下ろした

    ご住職が不在であったため奥様に
    収蔵庫の扉をあけてもらうと大変綺麗な薬師如来が現れた



    像高は50cm程度とそこまで大きくはない像だが
    収蔵庫の中央にどっしりと佇む姿はとても勇ましく見えた



    形式的には藤原時代のものであり全体的に気品漂う
    爽やかな像ではあるが顔の表情を凝視していると
    だんだんと男性的な力強さも味わうことができてきた

    “うしろむきやくし”

    中山道の宿場町としてかつて交通の要所であった中津川に伝わる
    この像はお寺の前を馬で通る人間が落馬する事故が増えたため、
    この像を本堂に後向きにまつったところ、落馬がなくなったという
    伝承が残っていると奥様が話をしてくださった




    薬師如来を拝観したあとに奥様のご好意で
    本堂の中を案内していただいた


    珍しい秋葉権現像や大きな涅槃像など
    本堂もとても見応えがあった





    東円寺
    〒508-0036 岐阜県中津川市東宮町8?12


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    [20110712]

    犬山の木曽川で鵜飼いを堪能した翌朝

    美濃加茂市中富町にある霊泉寺を訪ねた



    付近は国道が建設が活発になっており

    車社会が主体の近代化がより進んでいる

    印象を受けた

     
    霊泉寺は臨済宗妙心寺派の寺院で

    禅宗らしい洗練された庭園と本堂が特徴的だった


    本堂の中にある彩色の釈迦如来は

    中国、インドの異国情緒を感じる

    ボテっとした丸顔は

    風刺画や浮世絵のような情緒も

    感じることができた


     



    奥さんが銘菓“ふまんじゅう”とお茶を入れてくれ

    庭園を眺めながら、これから始まる観佛の一日が

    うまくいくよう願っていた


     

    御嵩町の天台寺院 願興寺を訪ねた

     

    願興寺を訪問した時は女性の住職が

    庭の草むしりに性を出していたところであった

     

    汗を拭いながら立派な本堂の説明をいただいた

    地方寺院ながらこれほどの本堂が建築されていることに

    驚きを受けた


     

    本堂からは荒々しい厳しさを感じ

    どことなく会津の勝常寺の国宝本堂と似ている印象を受けた

    住職の導かれ収蔵庫へと案内される

     

    収蔵庫には願興寺が誇る

    立派な諸仏がところ狭しと陳列されていた

    中央の蟹薬師の別名をもつ薬師如来は

    12年に1度の開帳である

     

    どの仏像もおおらかであり中でも四天王は

    仏師というよりも大工が作成したのではないかと

    思われるほどダイナミズムに富んだ仏像である


     

    願興寺は別名“東美濃の正倉院”という名前を持っており

    同じ岐阜県にある横蔵寺は“美濃の正倉院”と同様の

    俗称を持っているが、正倉院という名前にふさわしいのは

    どちらかというと願興寺のほうが適しているように思えた

     





    女性のご住職の抑揚のある般若心経は

    固い壁に囲われた収蔵庫の中で独特の音色を響かせ

    この般若心経を聞きに同月内に再度訪問してしまった

     

    富加町にある清水寺は願興寺より

    西に15kmほどバイパス伝いに向かい加治田を北に曲がったところにある

     

    富加町加治田は美濃から飛騨へ通じる街道の要衝に位置し、

    戦国時代には織田信長の中濃攻めの要衝として、

    江戸時代には宿場町として栄え、近隣の村々の中心だったそうだ

     

    清水寺にはその名の通り境内に水が沸き立ち

    寺院全体が水で潤っていた



     


    御年87歳の管理者である井戸さんもこの清水と縁があるのか、と

    聞いてみたがそこは関係がなかったそうだ

    幼少のころに井戸さんのお父さんがこの地を訪問し

    荒れに荒れていたこの寺院を悲観し、住職になることを

    引き受けたそうだ


     

    収蔵庫に安置されている十一面観音像は

    十一面観音像としては珍しく坐像の形を示す


     

    都仏のような華やかさも感じながら

    緊張のある体躯の表現に

    地方仏師の精神も通じる部分が感じることができた

     

    十一面観音の坐像は不思議な魅力を感じることが多い

    京都木津の現光寺、茨城桜川市の小山寺、同じ岐阜県でいうと

    日吉神社の本尊も坐像である

     



    清水寺の本尊である十一面観音像も例外ではなく

    本尊と対峙した際には身震いを感じるほどの

    オーラを感じた



     

    井戸さんの高齢が心配ではあるが

    清水寺の石段を杖を使うことなく登るほどだ

     

    まだまだ元気で般若心経を読み上げてくれることだろう

    [20110702]

    カーナビが思わぬ道へ案内したことで
    到着するまでに思わぬ疲労感を背負ってしまった

    国分寺跡が目の前に大きく広がる
    この地はどことなく奈良の雰囲気にとても似ていた

    本堂の裏手から崖のうえに
    建てられた収蔵庫を目指した

    蛇腹の階段を登っていくと
    目の前に丈六の薬師如来が現れる



    坐像ではあるが3mを超える巨像であり
    オレンジ色の光に照らされて
    この収蔵庫自体が薬師本尊を中心とする
    ひとつの仏教世界を創り上げていた


    本尊は戦火の末、江戸時代の初期に土中から
    発見されたというエピソードが残っている



    確かに仏像の素地がむき出しになっており
    仏面からも土中の中でずっと時を待っていたという
    我慢強さのような一面を覗かせていた


    本尊を見てうしろを振り向くと
    青野ヶ原の大地が眼下に広がる



    この広い大地を護る守護神として
    巨像の薬師如来はとてもたくましくみえた





    wikipedia 美濃国分寺

    美濃国分寺(みのこくぶんじ)は、岐阜県大垣市にある仏教寺院で、
    高野山真言宗の準別格本山である。山号は金銀山。
    詳名は金銀山瑠璃光院国分寺。本尊は薬師如来。

    現在の美濃国分寺は江戸時代初期の再興。
    西美濃三十三霊場満願札所。


    沿革

    741年(天平13年)、聖武天皇により国分寺建立の詔(みことのり)が発せられる。
    美濃国分寺は美濃国府中(現:不破郡垂井町)に近い
    青野ヶ原(現大垣市)に建立される。
    775年(宝亀6年)に暴風雨で破損したという記録があり、
    この頃には建立されていたと推測される。

    887年(仁和3年)、火災で焼失。本尊などは運び出され、
    一時美濃国席田郡(後の本巣郡の一部)の定額尼寺(旧糸貫町、現本巣市に存在と推測される)に移転する。
    再び元の地に再建され、1004年(寛弘元年)、美濃国司源頼光により修復されたという記録がある。
    しかし、南北朝時代の1338年(延元3年/暦応元年)の青野原の戦いなどの戦乱で焼失し、
    本尊も行方不明となる。

    本尊薬師如来像は、江戸時代初期、真教上人が土中から見出したものと伝える。
    1615年(元和元年)、旧美濃国分寺の北東に、金銀山瑠璃光院美濃国分寺として再興される。

    重要文化財(国指定)

    木造薬師如来坐像 - 高さ304.8cm。寺伝に行基の作というが、
    実際には平安時代後期の作とみられる。伝承によれば、
    ケヤキの大木を行基が自ら一刀三礼をし、彫り上げたという。
    「馬だらい薬師」の別名があり、土中に埋没している際、
    背中のくぼみが土中から出ており、このくぼみに水を溜めて
    馬の足を洗うのに使用していたという話が伝わっている。






    [20110624]

    愛知県を北上し岐阜市内に入る
    美江寺観音』という呼称は
    岐阜市内の人にとってはわりとポピュラーな名前で
    定着しているようだ

    境内に車を止めご住職に本堂へ案内された
    お寺の縁起を伺って、本堂の奥にある
    収蔵庫にて秘仏の十一面観音像を拝する

    頂上部からオレンジ色のライトに照らされ
    像高175cmあまりの本尊十一面観音像が
    暗闇に浮かび上がる




    地方作の脱活乾漆造の登録仏像としては
    この美江寺に伝わる本尊と
    香川県さぬき市願興寺に伝わる
    聖観音坐像の二体のみである




    自分は香川県の像を拝したことがないのだが
    写真で見る限り洗練された中央作の仏像であることが
    確認できる

    一方本尊はというと顎を突き出し見下ろすことなく
    顔はまっすぐ正面を向いている

    個人的関心はお腹まわりの乾漆仏らしい
    生々しい表現

    もちろん触れることはできないのだが
    ツルっとしているワケでもなく、木肌のように
    ざらっともしていない、、

    乾漆仏でなければなかなか
    表現できないであろう質感をもっていた

    住職にお話を訊くと頭上の化仏は修理の際に
    誤って除かれてしまい、
    現在は7面になってしまっているのだという

    また名張の仏師が携わったのだという
    名張は室生寺の近くであり個性豊かな仏像が
    量産されたと考えやすい地域ではある



    化仏の中まで乾漆仏となっていると話をされ
    乾漆仏とは徹底的にやるんだな、と関心した

    本堂の中央には御前立としての像も立っているが
    こちらの像も鎌倉初期にまで遡るであろう
    優美な像である

    生々しい息づかいが感じられそうな
    十一面観音像はとても印象に残った


    wikipedia

    美江寺(みえじ)は、岐阜県岐阜市にある天台宗の寺院である。山号は大日山。
    院号は観昌院。通称「美江寺観音」。正式名称より通称で呼ばれることが多い。本尊は十一面観音。

    美濃三十三観音霊場第十八番札所。岐阜観音札所第三番札所。東海白寿三十三観音第三十一番札所。

    瑞穂市美江寺については、美江寺宿を参照。

    『新撰美濃志』の伝えるところによれば、717年(養老元年・霊亀3年)、元正天皇勅願により、
    伊賀国名張郡の伊賀寺(坐光寺)の十一面観音を美濃国に移したのが当寺の起源であるという。
    この十一面観音を本尊として、719年(養老3年)、美濃国本巣郡十六条(後の美江寺村、現瑞穂市美江寺)に
    美江寺が創建され、開山は勤操(ごんそう、東大寺別当)、竣工は723年(養老7年)であったという。

    その後、中世までの沿革は判然としないが、土岐氏の帰依を受け、1506年(永正3年)、
    土岐成頼が伽藍を修造したという。現在地に移転したのは1549年(天文8年)、斎藤道三の
    稲葉山城の築城時ともいい、織田信長が移転させたという説もある。
    稲葉山城の南西に位置し、裏鬼門を守護するという。

    1871年(明治4年)、政府による寺領上知令により寺領を失う。1945年(昭和20年)7月には、
    岐阜空襲により伽藍を焼失。その後、1952年(昭和27年)に阿弥陀堂(仮本堂)が再建され、
    1955年(昭和30年)に本堂、1986年(昭和61年)に仁王門がそれぞれ再建されている。




    [20110623]

    3つの寺院を兼務されているという
    非常に多忙な中、ご住職がご都合をつけて
    くださり念願叶って訪問することができた



    『あの山の中腹にもともと建てられたんです』
    と住職が指した方向を見ると青々とした
    山並みを確認することができた

    寺伝によると信長の焼き討ちにあったことから
    現在の場所に移築したのだという

    本堂の裏側にある収蔵庫の扉が開かれ
    収蔵庫の中央に聖観音立像が現れた


    [参照]岐阜県

    目をくっと閉じ、薄く横に伸びた唇は
    男性的な表情ながら艶美さも感じてしまう

    自分が知っていた写真よりも
    目の前にある観音像は少しばかり
    小さく感じたが
    切れ味鋭い衣紋と一木のダイナミズムは
    威圧というべきか閃光を放つような
    眩しさをも感じさせる

    脈々と流れる血がそこに存在する
    生々しい像、、聖観音像に見惚れていると
    そんな気分になってきた



    wikipedia

    山号    篠尾山
    宗派    天台宗
    本尊    聖観音菩薩(石上観音)
    創建年    伝・790年(延暦9年)
    開基    伝・最澄
    中興年    1658年(万治元年)


    円興寺(えんこうじ)は、岐阜県大垣市にある天台宗の寺院である。山号は篠尾山。
    本尊は木造聖観音菩薩立像(国の重要文化財)。
    西美濃三十三霊場第三十二札場。
    かつては山頂に存在していた。旧円興寺跡地には礎石が残り、
    源朝長の墓、源義朝、源義平の供養塔などが残る。
    現在の円興寺には源朝長の位牌や関わる遺品がある。

    沿革 [編集]

    寺伝によれば、790年(延暦9年)、美濃国不破郡青墓(現大垣市青墓町)の大炊氏に懇願され、最澄が開山したという。
    1574年(天正2年)、織田信長により焼き討ちにあい、全てを焼失する。この際本尊が勝手に動き、
    石の上へ難を逃れたという。このことから、本尊を石上観音と呼ぶ。
    1658年(万治元年)に再興され、現在地へ移転する。




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    不空 (12/17)
    安産寺が一番というのは、今年を表してるね! それにしてもたくさん相変わらず行ってるね!だめだよ、地蔵尊に怒られるよ(笑) 山形のは、開けてくれて良かったですね、巨

    株取引の流れ (11/20)
    とても魅力的な記事でした!!
    また遊びに来ます!!
    ありがとうございます。。

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