美濃国分寺(みのこくぶんじ)は、岐阜県大垣市にある仏教寺院で、高野山真言宗の準別格本山である。山号は金銀山。詳名は金銀山瑠璃光院国分寺。本尊は薬師如来。現在の美濃国分寺は江戸時代初期の再興。西美濃三十三霊場満願札所。
沿革741年(天平13年)、聖武天皇により国分寺建立の詔(みことのり)が発せられる。美濃国分寺は美濃国府中(現:不破郡垂井町)に近い青野ヶ原(現大垣市)に建立される。775年(宝亀6年)に暴風雨で破損したという記録があり、この頃には建立されていたと推測される。887年(仁和3年)、火災で焼失。本尊などは運び出され、一時美濃国席田郡(後の本巣郡の一部)の定額尼寺(旧糸貫町、現本巣市に存在と推測される)に移転する。再び元の地に再建され、1004年(寛弘元年)、美濃国司源頼光により修復されたという記録がある。しかし、南北朝時代の1338年(延元3年/暦応元年)の青野原の戦いなどの戦乱で焼失し、本尊も行方不明となる。本尊薬師如来像は、江戸時代初期、真教上人が土中から見出したものと伝える。1615年(元和元年)、旧美濃国分寺の北東に、金銀山瑠璃光院美濃国分寺として再興される。重要文化財(国指定)木造薬師如来坐像 - 高さ304.8cm。寺伝に行基の作というが、実際には平安時代後期の作とみられる。伝承によれば、ケヤキの大木を行基が自ら一刀三礼をし、彫り上げたという。「馬だらい薬師」の別名があり、土中に埋没している際、背中のくぼみが土中から出ており、このくぼみに水を溜めて馬の足を洗うのに使用していたという話が伝わっている。
wikipedia山号 篠尾山宗派 天台宗本尊 聖観音菩薩(石上観音)創建年 伝・790年(延暦9年)開基 伝・最澄中興年 1658年(万治元年)円興寺(えんこうじ)は、岐阜県大垣市にある天台宗の寺院である。山号は篠尾山。本尊は木造聖観音菩薩立像(国の重要文化財)。西美濃三十三霊場第三十二札場。かつては山頂に存在していた。旧円興寺跡地には礎石が残り、源朝長の墓、源義朝、源義平の供養塔などが残る。現在の円興寺には源朝長の位牌や関わる遺品がある。沿革 [編集]寺伝によれば、790年(延暦9年)、美濃国不破郡青墓(現大垣市青墓町)の大炊氏に懇願され、最澄が開山したという。1574年(天正2年)、織田信長により焼き討ちにあい、全てを焼失する。この際本尊が勝手に動き、石の上へ難を逃れたという。このことから、本尊を石上観音と呼ぶ。1658年(万治元年)に再興され、現在地へ移転する。