[真庭市HPより]-------------------------------------------------------言い伝えによれば神亀3年、西暦726年、行基菩薩(ぎょうきぼさつ)が寺を開き、薬師如来像を彫ったと伝えられていますが、様式からは室町時代の作と言われています。またその後、弘仁6年815年、弘法大師により不動明王、矜羯羅(こんがら)童子・制?迦(せいたか)童子の三尊が厄難除けのため、彫られたと伝えられます。様式上は平安時代の作と言われ、いずれも国指定の重要文化財となっています。建久元年、1190年には、源頼朝の命により梶原景時が再建し、天神山(てんじんざん)を大寺山(おおてらさん)と改め、天領百石を寄付したと言われます。現在の勇山寺本堂は和様折衷の建物で、江戸初期寛文頃の建築と推定され、彫刻技術の美といい、仏寺建築としては郡内屈指の本堂です。-------------------------------------------------------
安養寺 (倉敷市) - Wikipedia 安養寺は奈良時代、報恩大師により真言宗の寺として開山。朝原千坊の中院として13世紀の室町時代には浅原の谷一帯に『浅原寺』と総称される寺院が立ち並んでいたとされている。 池田家文庫等によると安養寺は享保2年(1717年)以前は現在地より220m南、倉敷市街よりにあり、客殿や庫裏を備えた朝原寺の本坊であったことが判っている。 また、源平盛衰記では鹿ケ谷の変で治承元年(1177年)、備前国に追放された藤原成親が備中国安養寺に出家・受戒したと書かれている。 安養寺は倉敷と総社を結ぶ浅原峠にあり、寺社地正面には天王池と呼ばれる池に朱色の浮見堂が造られている。 参道の石段にある楼門の上に大きな毘沙門天が乗り、その下には船の大きな碇が置かれている。 境内に上がると毘沙門堂に高さ約26mの多宝塔、羅教堂、鐘楼、茶室などが配置されている。 本殿である毘沙門堂には、金色の毘沙門天本尊が祀られ、成願堂には平安時代に造営された経塚の出土品で、釈迦誕生仏像・瓦経・等身大の毘沙門天像などの文化財が保存され、仏像は無料で公開されている。 約11tの重量がある梵鐘は中国四国一の大きさとされている。また、神仏習合の寺であるため境内には鳥居が三箇所あり、七福神の銅像も配置されている。