然るを訊く
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    [20130419]


    北九州空港に降り立つ時、
    窓の外に広がった
    深い群青の中に
    鮮やかなエメラルドグリーンが
    光る海面の色が
    とても印象的だった。


    空港から国道を北上し
    豊前の牡蠣を味わいつつ
    目的の土地であった
    小倉市にある極楽禅寺を目指した。



    小倉市の比較的中心地にある
    極楽禅寺は
    かつて椎田町にあった
    極楽寺村という場所から移ってきた。



    本尊である小倉市指定の
    聖観音立像を住職の
    案内で拝観させていただいた。



    本堂の中央で
    光に照らされた聖観音像が
    薄いカーテンの間からよく見える


    内刳はぎ合わせ無の榧一木像であり
    平安後期の作だと考えられる。

    柔和な笑みを高い位置から拝観者の自分に与えてくれる。



    住職の話では不動・毘沙門も存在していたが現在は消失してしまったのだという。


    この観音像を前に想像すると、睨みをつける脇侍であったとしても
    優しい表情をしているのではないか、、と想像してしまう。


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    [20120703]

    梅雨に入ったばかりの九州で
    福岡県西部周辺の仏教の発展に大きく寄与したとされる
    清賀上人の足跡を辿るように
    福岡県恰土郡を中心とした仏像を訪ねました。

    ※千如寺 清賀上人像



    本来は福岡県西部の仏像を巡るということを念頭においただけ
    だったのだが、そのルートが結果的に清賀上人と縁のある仏像の
    足跡を辿るルートとなっていた。

    清賀上人はインドからの帰化僧であり恰土郡に
    怡土七ヶ寺」※1を建立したとされています。
    ※1 千如寺、霊鷲寺、金剛寺、小蔵寺、楠田寺、 夷巍寺 、久安寺

    まず清賀上人が福岡の仏教の歩みとなる
    スタート地点ともなったのが
    福岡市城南区にある臨済宗東福寺派の正覚寺

    正覚寺のある山からは博多区内も一望できるくらいの
    市街地に近い場所にある

    清賀上人は正覚寺から恰土郡の天皇勅願寺に対して
    この山で採ることができる椿油を送っていたのだそうだ。
    この話にも登場する椿油が採取されることから
    この山は“油山”と呼ばれるようになります。

    そして正覚寺に鎮座する観音像は“油山観音”と
    名付けられ、このお寺の名前自体も“油山観音”という
    仏像の名前で人々から愛されている

    住職もとても朗らかな人で
    「東京からよくよくおいでくださいました!」と
    我々を温かく迎えていただいた

    住職に連れられ本堂にある“油山観音”こと
    聖観音坐像を拝観する

    像高79cm桧寄木。均整の取れた美しい像で鎌倉時代後半の作であろう。
    かつて720僧坊を誇るほどの大きな寺院であったが争乱に巻き込まれ
    荒廃していってしまったがその後、承天寺住職が再建し以来臨済宗へと改宗したそうだ。
    さらにこの像は数奇な運命を辿る。



    2009年に盗難に遭ってしまい、
    その際に犯人が値を高くしようと仏像を複数箇所に
    手を加えたそうで、背中の衣や鼻が当初のものとは異なっているのだそうです。



    文化庁としては近年内には修復しもとの姿へ戻そうとしていたが
    心の大らかなご住職は観音が戻ってきたこと自体に安堵されており
    そこまで大きな問題であるとは感じられていないような
    雰囲気でありご住職のおおらかさに心がとてもなごんだ。


    福岡市西部にある福岡県糸島市にある
    千如寺 大悲王院は清賀上人開祖「怡土七ヶ寺」の中で
    唯一現存している寺院である。

    本堂には像高464cmという大変大きな千手観音が鎮座していた。
    千手の42臂であるが光背に小脇手845手を持つ大変ユニークな像。
    別名「雷山観音」と呼ばれているそうだ。(昭和31年修理)



    巨像に似つかわしくないとても穏やかな表情をしており
    暗い堂内にありながら来訪者を見つめる眼差しはとても優しい

    千手観音の裏側には二十八部衆、そして千手観音の前には
    薬師如来、不動明王が来訪者の近い場所に祀られているが

    特に薬師如来については平安時代の木彫像であり、後ほど登場する大法寺像のような
    この地域特有の線の細い容貌をしていた



    糸島市の西部にある曹洞宗大法寺は前述した
    千如寺 大悲王院の薬師像と精通する薬師如来像が
    本堂の左側に祀られていた



    薬師154cm楠で像容は平たくボリュームを出していない
    佐賀県相知町医王寺の薬師像と似ていると言われていて
    千如寺 大悲王院の薬師像と併せ、
    松浦沿岸の地域的な関連があるのでないかと言われているそうだ



    左側に祀られているのは本来は同じ境内の薬師堂に祀られていた仏像だから。
    平成2年に本堂が全焼する火災に遭ってしまっており、唯一無事だった仏像だったのがこの像。
    本堂を新築させるタイミングでそれまで厳重な秘仏だったこの像が発見された。

    別名「落馬薬師」の名で親しまれかつてこの像を祀ったところ落馬する武士が
    ぱたっと止んだという言い伝えが残っている。

    そんな仏像であるがお寺を守られる住職家族から話を伺うと
    家畜の餌の納屋として薬師堂が使われており、そのせいで
    発見された時にはかなり傷んだ姿で発見となったのだそうだ。


    スマートな体躯と厳しい眼差しで日本海を見通している。

    この大法寺から国道に出てわずか3kmほどの距離にある
    浮嶽神社」には1年ぶりの再訪となった。
    (過去の訪問はこちらをご覧ください→2011年5月3日の記事)



    ここの収蔵庫には清賀上人怡土七ヶ寺の一つである
    久安寺の仏像が境内の収蔵庫に祀られている


    収蔵庫の仏像たちはみな九州の玄関口である
    日本海に向けて厳しい睨みをきかしている

    特に如来立蔵は厳しい眼光で訪問するものを圧倒する





    現在は腕が欠損しており本来の仏像の姿が明確にできていないのであるが
    あくまで個人的な直感を申させていただくと、
    京都神護寺像、奈良元興寺像、兵庫成相寺などと同じような厳しさから
    薬師如来だったのではないかと想像します


    地蔵菩薩はかつて彩色像で僧形神像の可能性を示唆しているそうだ。
    袖口が八の字になっているのが特徴的であり
    この収蔵庫の平安佛三尊の中でもっとも重量感を感じる




    如来坐像も眼差しや豊満な肉体には鋭さのなかに
    妖艶な魅力を湛えており、気付くとその魅力に
    かぶりつくように惹きこまれてしまっていた。



    今回訪問したのは清賀上人が
    福岡県西部に遺した足跡のほんの一部ではありましたが、
    そこに残る仏像をみて感じることは
    やはりこの地方特有の特徴が明確になった

    仏像に対しては使う言葉ではないかもしれないが
    エッジがとても効いているのです

    それを日本の玄関として戦争の多かったこの地帯だから、、と
    紐付けるのはいささか安直であるかもしれないけれども

    少なくともこの地方の仏像たちが持つ魅力の一つに
    仏像が放つ威圧感、命をかけて仏師が造像したような
    切迫した想いを感じるのである。







    [20110508]

    太宰府を通って福岡市を西へ
    福岡市高速道路五号線を通りさらに
    前原道路を使って糸島市へ入った



    二丈浜玉有料道路吉井インターを降りて
    十坊山、浮嶽に向けて伸びる国道の中腹を
    集落の中に入っていくと浮嶽神社が現れた











    インドから渡来した清賀上人によって開かれた
    怡土(いと)七ヶ寺※1の一つである
    久安寺に所蔵されていたという
    福岡県の中でもっとも古い三体の平安佛を訪ねた


    木造如来坐像は手が欠損しているため
    本来の姿がなんだったのかは不明であるが
    伝薬師如来となっているようだ





    体全体に丸みを持っており胸部の膨らみなどから
    吉祥天などの天部の女性的な様相をも
    感じることができた
    (像高90.3cm)


    木造地蔵菩薩立像はたゆたう衣紋の表現に目を奪われた



    袖口の重く垂れた粘度をもったかのような衣紋表現は
    常福寺と同じように樹木の心臓をえぐりとったような
    生々しい印象を受けた
    (像高175.5cm)




      
    木造如来立像(像高179.4cm) 



    地蔵菩薩に比べ衣紋の表現は鋭角な印象を受け
    同じような鋭角的な表現は目鼻立ちの
    鋭さにも感じることができた



    一木の力強さと伸びやかさが
    バランスよく表現されており
    大陸に対して睨みを効かせ
    これから進出していこうとする
    当時の日本を表現しているようにも思えた








    おそらく久安寺でも
    格の高い像として安置されていたのではないかと
    想像される



    管理されている方から“好きなだけ見てっていい”と
    仰っていただいたので自分は約1時間もの間
    優雅な仏像を見つめていた



    外の雨は止んでいて、どしゃ降りにならなくてよかった、
    などと思って車の方に歩いて行くと、ものすごく大きな
    水たまりができていた

    どうやらこの仏像に引きこまれてしまっていた時間の間に
    外の天候は思いの外、めくりめく変わっていたようだ


    この後、バイパスを使ってすぐ隣の
    佐賀県に入った



    そして唐津湾の名物
    呼子の烏賊”を堪能した



    烏賊がゆるゆる蠢く、その動きはまるで
    地蔵菩薩の衣紋を見ているかのようにも思えていた



    イカ刺しをいただいた後には
    ゲソを天ぷらに



    フワフワの衣と烏賊の甘みが
    シンプルに塩だけでいただいて
    正解だなぁと感じる瞬間だった



    ※1 怡土(いと)七ヶ寺
    1.久安寺(二丈 福吉)
    2、夷巍寺(イキジ)(二丈 一貴山)
    3、楠田寺(前原 真方)
    4、小蔵寺(前原 長糸の白糸の滝)
    5、千如寺(前原 雷山)
    6、霊鷲寺(前原 染井)
    7、金剛寺(福岡西区 今宿 上の原 高祖山 中腹)

    [20070323]

    二日目

    朝、軽く寝坊して焦って軽く判断力を失います。。

    最初は大宰府



    ここ2年前に訪れていましたがまたまた健康と発展を祈願してきました
    本日はどーやらソーラン節の大会らしく
    おんなじ衣装を着た若い人たちがたくさんいて、みんな金パチ先生で
    フィーチャーされていたソーラン節を踊っていました。


    自分はこの大会の審査員の人になったら大変だろうなーと
    思ったり。おんなじ踊りをずっと見させられるのはウンザリすると思います。。


    まーそんなことは置いといて
    大宰府にある九州一の良質の仏像がそろっている観世音寺
    ここも二回目です。









    やっぱ、ここの馬頭観音はデカクて迫力があるね!
    そして前回詳しくみていなかった

    兜跋毘沙門天立像


     

     

    日本で最古の大黒天




     

    なんかをジロジロと細部まで見てくることができた。

    今は豊作の神、商売の神とあがめられてこんなニカーっとした顔を
    している大黒天だけれど




    もともとは戦いの神として、
    ここの大黒天のようにスマートな格好をしていたのだという。

     

    やっぱ時代によって人も仏像も変わるのですね。

     


    で、博多へリターンし
    【博多だるま】というこれまた有名なラーメン。
    行列に並びました。




    こちらラーメン






    油がうっすら浮いていて、味濃いーと思いきや
    スープを飲み干せるくらい旨かった。またシット

     

    ラーメンの後は福岡九州近くにある
    志免町炭鉱跡へ。

    写真をたくさん撮りました。











    ----------------------------------------------------
    主力エネルギー源が石炭だった時代、
    九州と北海道にはいくつもの炭坑が存在しました。
    九州では特に福岡県大牟田市の三井三池炭坑や
    長崎県高島町端島の三菱高島炭坑(軍艦島)
    が有名ですが、この他にも中小規模の多数の炭坑が操業していました。

    福岡市周辺の粕屋炭田においては1889(明治22)年、
    現在の須恵町に旧海軍が第一坑を開いて採掘が始まりましたが、
    ここの業績は芳しくなく、1906(明治39)年に現在の志免町に開いた
    第五坑からが一般に志免炭坑と呼ばれています。
    竪坑櫓は1943(昭和18)年、
    より深い地層からの採掘作業のために建設されたもので、
    この地下には深さ430mの竪坑があります。
    なお、志免炭坑の最深部は地下600mです。
    志免炭坑は戦後、旧運輸省管轄を経て1949(昭和24)年からは
    旧国鉄の直営炭坑となり、
    蒸気機関車へ石炭を供給してきました。
    しかしエネルギー源の石油への転換に伴い、
    多くの炭坑とともに志免炭坑も1964(昭和39)年に操業を停止しました。
    閉山後、関連施設はほとんど撤去されましたが、
    竪坑櫓は解体が困難なため結果的に取り残されています。
    ------------------------------------------------------



    遠くから見てもわかるこの建築物は近くで見ても
    やはり異様な雰囲気を放っていました。
    これが60年以上の建築物には到底思えません

    ある意味この先60年後にはこんな建物がそこらじゅうに生まれてくるような気さえしてきます。





    福岡の最後に訪れたのは嘉穂劇場









    ----------------------------------------------------
    1931年(昭和6年)、
    当時の嘉穂郡飯塚町で伊藤隆により設置される。
    前身は1921年(大正10年)に大阪・中座を模して建てられた木造3階建ての
    「株式会社中座」であり、1928年(昭和3年)に焼失し、
    翌年に再建されるも1930年(昭和5年)の台風で倒壊した。

    観客は当時筑豊地域の中心産業であった
    石炭炭鉱の労働者とその家族が中心で、大衆演劇や歌手の公演などで賑わった。
    しかし石炭産業の衰退もあって、1962年(昭和37年)には延べ266日であった公演数は、
    1970年代には10~15日に落ち込む。

    こうした事態を打開すべく、隆の死後経営を引き継いだ娘・栄子の奮闘もあり、
    1979年(昭和54年)から毎年9月に九州演劇協会による
    「全国座長大会」が開催されるようになったことや、
    レトロな雰囲気が人気となり、近年では、年間30~40日の公演が行われていた。
    2000年(平成12年)7月30日には椎名林檎のライブ会場に使われた。

    2003年(平成15年)7月19日の大雨により、
    劇場がある飯塚市の中心部一帯が浸水し、
    客席や舞台、花道等が浮き上がり、1階内部が使用不能になる被害を受ける。
    九州演劇協会会長・玄海竜二より連絡を受けた
    津川雅彦らが芸能人仲間に呼びかけ、中村玉緒、明石家さんま、
    中村勘九郎(現・18代中村勘三郎)ら大物が駆け付けた
    復旧チャリティイベントが行われ、イベントに先立ち飯塚市中心商店街で
    「お練り」も行われた。
    このイベントでは、田村正和や木村拓哉らの私物がチャリティオークションにかけられ、
    東京でも滅多に無い豪華なイベントとして話題となった。

    wkipediaより
    ---------------------------------------------------

    自分の事前リサーチの間違いで
    実はこの日、講演が入っていて本当は見学はできないハズでした。


    しかし、入り口のおばちゃんが【東京から来たんなら、ちょっと入れてやるわ、ちょっと待っとき】
    とこっそりと中を見学させていただくことがきました。

     

    上の説明を見てもわかる通り、この劇場自身が経験した繁栄と衰退、
    それにかかわる人がこの建物を後世にまで残していきたいという想いが
    自分の見たこの日までほとんど同じ景色を残しているんだと感じました


    そして福岡を後にして山口県へ


     

    [20070323]

    初日は終日移動移動の一日でした。仕事が終わって軽く支度を済ませて
    電車に乗り込んで、朝起きた時には岐阜県、そこからお昼頃に岡山、夕方、広島
    夜9時30ようやく博多に到着しました。ビンボー万歳


    途中では電車の旅ならではの駅弁なんかも購入しながら
    長い長い電車の車中を楽しんだりしました。





    出発から博多到着までおおよそ 約21時間




    ついてソッコー目指すは博多で一番旨いと言われているモツ鍋屋。
    駅から歩いて15分くらい。ちょっと遠いんだー

    一週間前から予約を入れていて尚且つ、電車も定刻通り到着してくれたもんで
    予約通りの時間にほぼ到着。

    早速ウワサのモツ鍋
















    こちらも有名らしい【酢モツ】










    両方旨い。

    特にモツ鍋。
    最高な歯ごたえとちょっとニンニクの効いた
    味噌ベースのスープがヤバイくらい絡んでます。

     

    そして最後にあまったスープと野菜を使って
    チャンポンでしめ。



     


    こんな美味しいものを食べれる博多の人にちょっとシットです。。。

     


     

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    神像もたせてもらえるんですかw
    安産寺年明け御礼参りをさせてもらう予定です。
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    正覚院 → 正覚寺

    不空 (12/17)
    安産寺が一番というのは、今年を表してるね! それにしてもたくさん相変わらず行ってるね!だめだよ、地蔵尊に怒られるよ(笑) 山形のは、開けてくれて良かったですね、巨

    株取引の流れ (11/20)
    とても魅力的な記事でした!!
    また遊びに来ます!!
    ありがとうございます。。

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