然るを訊く
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    [20110527]




    近江の祈りと美



    寿福 滋 (著), 高梨 純次 (著), 写真 (編集)
    出版社: サンライズ出版


    昨年の秋に滋賀県日野市にある
    正明寺の千手観音の特別開帳に赴いた



    本堂の中央、千手観音の前にこの本が置いてあった
    白地の綺麗な装丁を見て最初は綺麗だな、と思いながら



    “どうせ、白黒の古めかしい写真が掲載されるだけだろう”と
    思っていたのだがパラパラと本をめくると
    ほぼ全ての仏像がカラーで掲載をされ、解説文まであり
    これは今まで自分が持っていた近江の仏像本とはレベルが違うものだった



    滋賀県は中央に琵琶湖を抱き湖北、湖東、湖南、湖西と湖を中心にし
    実に見事な風土豊かな仏教文化が東西南北に広がっている


    湖北は言うまでもなく
    向源寺、赤後寺、石道寺、己高閣世代閣などの仏像愛好家にとって
    無くてはならないエリア
    かつては井上靖、白洲正子もその滋賀が育んだ仏像文化に
    惹かれ何度も滋賀県を訪問している


    然るを訊く[滋賀県訪問記]
    http://andon21.blog85.fc2.com/blog-category-36.html


    湖東は湖東三山が一斉開帳をし
    滅多にお目見えされてこなかった本尊を拝むことができ
    中でも百済寺の立木本尊の偉業さ度肝を抜かれた


    湖南は甲賀を中心とした関東、関西をつなぐ要所として
    櫟野寺に代表される平安仏の宝庫となっている


    湖西は京都に近く石山寺、三井寺などの仏像は
    華々しい荘厳さを見に纏っている




    滋賀県は文化財を保有する県としては
    奈良県京都に次いで多いようだ


    個人的な感覚値ではあるけど
    奈良県や京都は1つの寺に保有する仏像の数が多数あるのに対して
    滋賀県は1つ、1つの寺が保有する仏像は少ない


    それゆえにひとつひとつの仏像が実に個性的であり
    しかもどことなく愛くるしく感じる


    滋賀県の寺院に訪問することは旅行や観光といった感覚とは
    違い“近所のお寺にお参りにいく”という感覚に近い気がする


    それは拝観をお願いすると
    軽トラックで農作業をしていた人が
    お堂の鍵を開けにきてくれたり、

    管理人さんが近所の人々と盃を交わしていて
    “お前も一杯飲んでいくか?!”と誘われたり(笑)



    こんなことから近江の印象は
    人と仏像との距離が至近距離で繋がっており、
    稀に見る密度で凝縮されている点にあると感じる



    そうした記憶に残る仏像たちが小説ではなく
    この図録から生き生きと呼び起こされてくる



    図録の後半部分には掲載されている仏像たちが
    どこに所在するのかが一目でわかる“近江仏像MAP”があり
    これを見ながら、さて、次はどこに行こうとわくわくしながら
    図録を見ているのである


    <図 版>
     第1章 石山寺と奈良時代の仏像
     第2章 湖北の平安古像
     第3章 比叡山と天台の平安古像
     第4章 琵琶湖周辺の平安古像
     第5章 神々の姿
     第6章 石の仏
     第7章 高僧を偲ぶ
     第8章 大きな変化の時代
     第9章 仏像を飾る
     第10章 優美の時代から動きの時代へ
     第11章 怒れる慈悲に祈る
     第12章 極楽を祈る
     第13章 仏像のお腹に祈る
     第14章 再び昔の由緒に祈る
     第15章 近江の十一面観音




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    2011-05-27(Fri) 06:42 | トラックバック(0) | コメント(2)
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    [20110524]

    兵庫県篠山市畑市にある
    行基による開祖と言われる
    西光寺の収蔵庫を訪問した



    あたりは国道が迫ってきているものの
    里の集落といった雰囲気が存分に
    漂っていた


    到着前に予定よりも早く到着するかもしれないということを
    伝えるために収蔵庫の管理者である樋口さんに事前に電話をすると
    約束の1時間前というのに収蔵庫に赴いて行ってしまったと
    奥様が丁寧に返答していただいた


    収蔵庫に到着すると昼から降り始めた雨も
    雨量を増し車から雨を凌ぐように
    収蔵庫に滑り込んだ

    収蔵庫内は樋口さんの手によって
    綺麗に掃除されていた

    樋口さんがかけてくれたテープとともに
    平安時代の優雅な薬師如来と四天王を拝す



    薬師如来は頬から顎への肉付きが鋭く
    藤原時代ながら爽やかな若々しさを
    感じさせる

    像高150cmを越えながらもこれだけ
    整った像をほりだせる技量があったというのは
    中央との結びつきを感じずにはいられない



    薬師如来の前に陣取っている
    四天王というのも珍しい陣形だった


    幹部はヒノキの一木から
    彫成し両手を矧はぎ寄せている

    八幡神社の二天とは対照的にスマートであり
    薬師如来の大きさと比較して
    四天王たちが小人のようにも思えた








    堂内には照明がほのかにたかれ
    雨雲で暗くなった外からの姿は
    鳳凰堂の阿弥陀如来のように浮かび上がっていた


    篠山という僻地での平安の文化の隆盛残す
    貴重な場所であることは間違いない
    後世にもぜひ残していってもらいたいと思う



    丹波篠山五十三次現地案内板及びガイド誌 及び篠山市教育委員会現地説明板 参照

    奈良時代の高僧・行基が弥十郎ヶ岳山中に四十九院を建てたといわれ、
    西光寺も其の西山麓に天平3年(731)創建されたものと伝えられます。

    中世の動乱期に堂宇は全て焼失したが、
    元禄年間 (1688-1704)洞光寺二十一世万国春輝和尚により
    西光寺は復興され、兵火から難を逃れた諸仏像は護持されていたが現在は、
    もと市場跡に収蔵庫が建てられ移されています。
    当時の仏像は、廃四十九院か廃石高山高窟寺にあったともいう。

    西光寺本尊・木造薬師如来座像は、国指定(明治44年-1911 4月17日)重要文化財で、
    大きな髪部や顎を突き出したように見える頭部の深い奥行き等に特色があり、像高157.5cmの
    桂材による一木造り、膝と両腕は寄木となっており内刳を施してあり、
    平安時代の円満な重厚さがある作品です。








    [20110522]

    岐阜県の数少ない平安初期~中期の優美な像が
    開帳ということで岐阜市 岩井山延算寺を訪ねた



    沿革

    伝承によれば、815年(弘仁6年)、空海がこの地で霊水を見つけ、
    薬師如来を祀ったのが起源であるという。
    地元に伝わる昔話によると、805年(延暦24年)、
    唐から帰国した最澄が因幡国岩井郡岩井に滞在し、
    クスノキで3体の薬師如来像を彫り上げた。そのうち一体が空を飛び、
    美濃国岩井で座禅を組んでいた僧侶の前に現れたという。

    驚いた僧侶は像をお祀ろうとしたが粗末な仏堂しか造れず、
    地元の農民が用意した新しい盥の上に安置したという。
    このことから、「たらい薬師」と呼ばれるようになったという。

    空海がこの地を訪れた際、この薬師如来をお祀りする寺を建立し、
    薬師如来を盥の上に安置した僧侶は空海の弟子となったという。
    864年(貞観6年)、定額寺となる。
    昌泰年間頃、天然痘(皮膚病の説あり)を患った小野小町が、
    お告げにより疱疹、瘡を直すために延算寺に7日間こもる。

    夢で「東に霊水がある。その水を体にすり込むと良い。」とお告げを聞き、
    その水をすり込むと完治する。

    この際、その霊水に延算寺の薬師如来を模した石仏を祀ったという。
    これが東院の始まりであると伝えられている。
    かつては大規模な伽藍であったというが、幾たびかの戦火で焼失する。
    現在の本堂は1643年(寛永20年)再建である。




    本尊薬師如来立像は平安初期~中期の一木造であり
    薬壷、両手首、蓮台は後補だったり
    螺髪が失われているため、僧像のようであった

    全体的にハリが満ち溢れ腹部から太もものあたりの緊迫にも似た
    表現は時代の特長である



    なんといっても釣り上がった唇の表現や
    身体に柔軟性を感じ無い表現が地方作の素朴さに心ひかれる




    地方作の傑作と言ってもいいだろう






    この日は薬師如来立像が開帳ということで
    厨子が開かれていたのだが
    自分が本尊の写真を撮らせていただいていると
    係の地元の方に

    地元民“あれ、今日は本堂の中に入れるんかい?!”

    管理者“今日は入れますからどうぞ中入ってお薬師さん拝んでいってください”

    というやりとりが何度かあった


    地元の人はいつもよく訪問しているものの
    本堂への扉は閉じられているままであり

    このように開帳していることが
    とても珍しいのだろう、

    その様子は地元に生きている空気感ともいうべきか


    感じることができた


    岐阜市にある仙波には4年ぶりくらいの訪問


    手挽きによる
    そばの実をそのまま味わえるかのような
    食感を愉しむことができる

    手挽き蕎麦


    ふわふわの玉子焼き


    天せいろ


    鴨南蛮蕎麦



    少し高価ではあるが、
    日本でのトップクラスの蕎麦であると
    前回も感じたが、今回はそれを確認する訪問になった


    そして西国三十三箇所の最後の札所 華厳寺にも訪問した



    閉じてしまいそうな時間だったので
    人があまりいなかった




    しかしながら祈る姿は
    光に照らされ浮かび上がっていた



    [20110521]

    同じく東京に住みながら同郷。そして同じタイミングで
    故郷に帰っていたことから余暇を利用して
    熊野へ行こう誘い、三重県の久居という片田舎で
    仏像部キッシーと合流した


    キッシーを車に乗せ紀世大内山まで伸びた
    伊勢高速道路を南下した



    高速道路を降りたあとも熊野街道を深い緑を
    分入りながら進んでいくのだが
    目的地の熊野までなかなか到着しない。。



    高速道路をおりたあとも
    熊野までの距離は約1時間半もかかる



    このアクセスしづらさも
    熊野を神格化させてきたひとつの理由かもしれない




    熊野速玉大社へ向かう途中
    熊野に差し掛かったころ友人が
    “ここらへんに有名な神社がある”ということを漏らし
    花窟神社への標識が見えたものに対して
    “よってみよっか”と話をして半ば強引に神社寄った理由は
    自分の興味だけではなかったと、ここで白状する



    イザナミがカグツチノミコトを産み落とした際の
    火傷で命を落としその後、葬られた御陵となっている



    日本を生み出したその神が葬られた場所にも関わらず
    寂しさを感じチンケな場所だな、なんて思っていた


    しかしながら、神殿に向かったところで
    熊野灘に面した巨岩が現れ、巨岩を御神体にしている
    自然信仰のスケールの大きさに驚いた







    熊野速玉大社へは花窟神社から約30分



    熊野川の海へ流れでようとする河口の橋の袂に
    本殿が建てられ熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と
    熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)を主祭神としている


    熊野速玉大神はイザナギ

    熊野夫須美大神はイザナミ としている説もあるようだ


    朱色の神殿が初夏の太陽のもと
    鮮やかに輝いていた


    “パンパン!”と二拍手をし
    眼を閉じてこの日の旅の成功を祈願した


    参道には先日の大震災を祈願する巫女が
    大声で復興への募金を求めていた



    その姿を見たときに今回の震災の大きさを
    改めて感じる瞬間だった




    日本国の創造神に復興を祈ろうとも思ったのだけれど
    あまりの被害の大きさから、
    “これは創造神からの試練”なんてことも
    浮かび、ちょっと複雑な気持ちになった


    昼食は“鮪”



    那智勝浦漁港
    日本第三位の漁獲高を誇る漁港



    漁港から駅へと続く商店街の中にある“竹原”で
    鮪三昧を愉しんだ




    鮪三昧はあまり期待をしていなかった自分に
    予想以上の驚きを与え、鮪が飛び跳ねるような
    満足を腹の底に蓄え
    補陀洛山寺を訪問した




    漁港からわずか数百m、海岸沿いの那智駅の
    目の前という距離にある


    “補陀洛山”という名前から山深いところにある、
    というように勝手に想像をしていたのだが、その予想は
    見事に裏切られたのだ



    境内にはこの寺を
    日本中、世界中に知らしめた
    補陀落渡海の船が置かれていた


    思っていたよりも小さな船だった


    出口は外側から打ち付けられ
    暗闇の中で補陀落浄土を目指し旅立つ




    希望と恐怖が入り混じる中
    旅立つ僧侶の気持ちは福島の原発に向かう作業員にも
    似ているのかな



    この補陀洛山寺で幸運にも
    重文の本尊 千手観音を拝ませてもらうことができた




    管理の人 瀬川伸一郎さんの話しによると本尊は三面千手
    学者によって平安中期~後期の作として鑑定されている





    軽妙な語り部は千手観音そしてこの地に伝わる文化を
    ありありと思い浮かべさせ、心は瀬川さんの話に
    どんどん引きこまれていった





    瀬川さんの話によると補陀落山寺の隣にある
    熊野三所大神社には門外不出の神像が祀られており
    いつかその像も瀬川さんの語り部とともに
    拝ませていただきたいものである




    補陀落山寺の脇道から那智大社へと向かう道では
    徒歩で大社に向かうであろう人が列を成しており
    巡礼の地であることを確かめた




    石塁のような階段を何度か折れ曲がりながら登って
    西国三十三箇所巡礼の第一番札所である
    青岸渡寺へ到着した



    青岸渡寺で手を合わせたいという人が
    絶えず絶えず列を成しており
    それに伴う線香の香りが堂の中に
    包んでいた



    那智大社如意輪堂の名残を
    那智大社とともに感じた



    青岸渡寺の脇道から三重塔へと抜ける途中で
    那智滝が綺麗に見えた



    この景色をみた瞬間

    “日本”という国を象徴する景色

    と思った



    階段をどんどん降り
    そこですれ違う人と“こんにちは”と挨拶を交わすのは
    ここが観光地ではなく巡礼地、もしくは登山
    その表れであるようにも感じた




    那智滝の真下に降りて
    鳥居のその先にある本殿であり神体である
    直瀑を対峙したときにはココロの口は
    あんぐりあいていた




    滝のように力の塊は
    古来から神と同一化されてきたのかな。




    滝から流れでた水で
    田畑が潤う



    一方 雷、炎、波、地震
    これらは自分たちの制御ができないから
    信仰というよりも
    鎮める対象だったのかもしれない




    ここから4時間かけて戻る道のりは
    かなりキツかったけど




    荒ぶる神 と 恵みの神



    人間が制御できない力に神が宿る
    というのは日本人の血の中に刻まれている
    記憶があるのではということを認識することができた






    [20110516]

    湖南の善水寺は天台宗の古刹として
    奈良時代に創建されのちに最澄がここを訪ね
    天台宗に改宗したという

    本堂は国宝に指定されている茅葺き屋根
    本堂を訪ねると最近ご住職になられて間もない住職が
    我々を本堂の中央に座らせ寺の成り立ちや諸仏の概要について
    説明してくださった





    本尊の薬師如来は不定期に公開され
    前回は2001年に開帳されたが
    その前の御開帳は1949年で約50年ぶりの開帳であったという

    しかし本尊は自分も拝むことができていた

    それは2006年に開催された

    【天台宗開宗1200年記念 特別展 最澄と天台の国宝で
    東京国立博物館で拝むことができていた

    金箔が見事に残っていて
    指間の水かきが際立って目立っていたことを覚えている



    当時は仏像へ興味を持ってから間もなく
    本尊がとても貴重な像であったと
    知ったのはごくごく最近になってからだった


    薬師如来を囲んで十二神将、四天王が並んでおり
    その檀の最も高い位置に祀られていた帝釈天

    衣紋はしゃばしゃばと波紋を浮かべ
    まるで僧形像のように
    スネで切り替えしを見せている



    本堂の裏側も拝観でき
    若々しい像で表現されることが多い文殊も
    ここでは年老いた老人の像で表現されていた



    境内の隅には
    【善水寺】の語源ともなった
    清らかな水が湧いていた






    清らかな水で潤う寺院は
    体の中がスーっと洗われるような気持ちに不思議とさせてくれた



    [20110515]

    身を濁った湯に埋め


    のぼせた視界にのぼせた光


    硫黄って腐った卵の匂いっていうけれど
    自分にとっては良い匂いで



    のぼせた裸体は
    全身の皮膚でその匂いを嗅いだ





    温泉は地球の体温の切れ端




    硫黄は
    地球の体臭?!





    ちょっと臭いな

    [20110514]

    長崎の中華街を歩いた


    横浜のそれよりも
    おもっていたよりもコンパクトで
    わりと簡単に歩くことができた


    横浜の中華街と違って
    ここの人は国外に逃げ出していなかったw




    江山楼
    中華街本店を訪ねる


    あっつあつの春巻



    そして長崎の目当てであったちゃんぽん

    さすが長崎?!
    ちゃんぽんにもグレードがあって
    自分は真ん中のを選んだ



    クリーミィなスープが今まで食べたことのない味で
    ちゃんぽんってこんなに美味かったのか!と
    結構びっくりした


    皿うどんも食べにゃ




    皿うどん


    麺はうどんじゃないのに
    うどんって付くのはナゼだろう

    [20110511]

    万博記念公園


    服部緑地公園




    [20110508]

    太宰府を通って福岡市を西へ
    福岡市高速道路五号線を通りさらに
    前原道路を使って糸島市へ入った



    二丈浜玉有料道路吉井インターを降りて
    十坊山、浮嶽に向けて伸びる国道の中腹を
    集落の中に入っていくと浮嶽神社が現れた











    インドから渡来した清賀上人によって開かれた
    怡土(いと)七ヶ寺※1の一つである
    久安寺に所蔵されていたという
    福岡県の中でもっとも古い三体の平安佛を訪ねた


    木造如来坐像は手が欠損しているため
    本来の姿がなんだったのかは不明であるが
    伝薬師如来となっているようだ





    体全体に丸みを持っており胸部の膨らみなどから
    吉祥天などの天部の女性的な様相をも
    感じることができた
    (像高90.3cm)


    木造地蔵菩薩立像はたゆたう衣紋の表現に目を奪われた



    袖口の重く垂れた粘度をもったかのような衣紋表現は
    常福寺と同じように樹木の心臓をえぐりとったような
    生々しい印象を受けた
    (像高175.5cm)




      
    木造如来立像(像高179.4cm) 



    地蔵菩薩に比べ衣紋の表現は鋭角な印象を受け
    同じような鋭角的な表現は目鼻立ちの
    鋭さにも感じることができた



    一木の力強さと伸びやかさが
    バランスよく表現されており
    大陸に対して睨みを効かせ
    これから進出していこうとする
    当時の日本を表現しているようにも思えた








    おそらく久安寺でも
    格の高い像として安置されていたのではないかと
    想像される



    管理されている方から“好きなだけ見てっていい”と
    仰っていただいたので自分は約1時間もの間
    優雅な仏像を見つめていた



    外の雨は止んでいて、どしゃ降りにならなくてよかった、
    などと思って車の方に歩いて行くと、ものすごく大きな
    水たまりができていた

    どうやらこの仏像に引きこまれてしまっていた時間の間に
    外の天候は思いの外、めくりめく変わっていたようだ


    この後、バイパスを使ってすぐ隣の
    佐賀県に入った



    そして唐津湾の名物
    呼子の烏賊”を堪能した



    烏賊がゆるゆる蠢く、その動きはまるで
    地蔵菩薩の衣紋を見ているかのようにも思えていた



    イカ刺しをいただいた後には
    ゲソを天ぷらに



    フワフワの衣と烏賊の甘みが
    シンプルに塩だけでいただいて
    正解だなぁと感じる瞬間だった



    ※1 怡土(いと)七ヶ寺
    1.久安寺(二丈 福吉)
    2、夷巍寺(イキジ)(二丈 一貴山)
    3、楠田寺(前原 真方)
    4、小蔵寺(前原 長糸の白糸の滝)
    5、千如寺(前原 雷山)
    6、霊鷲寺(前原 染井)
    7、金剛寺(福岡西区 今宿 上の原 高祖山 中腹)

    [20110507]

    佐賀県の二体平安初期~中期にかけてと
    思われる像を訪問した


    一つは東妙寺聖観音像で
    もう一つは常福寺の帝釈天像である


    東妙寺はかつて邪馬台国があったとされる
    吉野ヶ里遺跡から南にわずか100mほど進んだ田手村にある
    真言律宗の寺院である



    訪問すると住職が庫裏から見え
    寺の由緒や仏像のことなどを丁寧に説明してくれた


    像は内陣に入ることを制限しているために
    一般人は入ることが許されないのだが
    今回は特別に、ということで塗香を手に施し
    近くで拝観させていただくことができた

    本尊は釈迦如来であり運慶作と伝わっている



    その言葉通りの素晴らしい彫像であり
    金箔と金泥の両方を使った像であると説明してくださった

    この釈迦如来に伝わる寺伝を聞いた

    この像を乗せて石塔院へ向けて荷車を引き
    向かっていたところ荷車が重くなり休んでいた
    すると日も暮れてきたので近くにある東妙寺で一夜を明かそうとし
    荷車を東妙寺の方角に向けたところ車が突然軽くなったのだという

    一方隣の聖観音立像は尼寺であった
    妙法寺からやってきた像とされている

    平安前期の土着的な像ながら清々しさを感じる像である



    像のところには住職のみが入ることが許されているそうで
    近くで写真を撮らせていただくことができなかったのが
    残念ではあるが、離れた場所から写真撮らせていただき
    緊張感のある像ながら一木らしさは存分に感じることができた


    本寺はもともとは蒙古襲来の敵国殲滅を祈願することで
    創建されたと伝わっているが、その言葉とは反した
    美しい彫刻が本堂にいたことは面白い


    2つ目の常福寺 帝釈天立像は圧倒的な威圧感に
    満ちている像であり、資料によるとこれが帝釈天として
    創られたものであるかは不明であるという



    釣り上がった眼に引き締まった口

    憤怒にも似た表情は上記の東妙寺創建伝である
    敵国殲滅を意識したものとして創られたのではないかとさえ
    感じることができる


    特に袖口の重厚感に満ちた造りは
    前方に重力がかかり、前のめりで倒れてしまうのではないかとさえ
    心配してしまうほどである




    想像してしまうほどの
    帝釈天像は以前はあやまちを犯した人間をゆるすための像として
    厚く信仰されたいたと説明書きがあった


    もし自分が犯した罪を許してくれる像として信仰するのであれば
    阿弥陀如来や釈迦如来像などのたおやかな像を
    想像するのだが、昔の人の罪悪感というのはそんな穏やかさではなく
    厳しいものであったかもしれない


    東妙寺の近くでは久留米ラーメンを食べた
    独特の臭みがクセになる




    [20110506]


    熊本の夜はとてもおいしくて
    熊本産の焼酎を名物馬刺しをアテに食べる




    馬刺しというものは加藤清正が
    戦いの際、食糧難で馬を食べたところ美味しく
    地元熊本に帰って広めたという話があるそうだ


    馬刺しは油っこくない爽やかな脂身が
    キツめの芋焼酎ととてもあう







    赤身だけでなくタテガミも
    軽めにニンニクを溶かした醤油に
    長方形のタテガミの角を
    刹那な付けていただく



    そして馬刺しと焼酎を堪能したシメは
    もちろん熊本ラーメン



    市内にある天外天は屋台風の店舗で
    こってりした油と
    多めのニンニクチップが特徴



    味は見た目よりもあっさりしており
    サラッと食べて餃子をつまむのが丁度いい



    焼酎、そしてシメまで揃ってる

    だから
    熊本の夜はとてもおいしい


    [20110505]

    甲賀町の水口から東南方面
    野洲川の流域にある甲賀町岩室にある
    大福寺を訪問した

    この時は桜が咲く前であったため
    古い宿場町が現在の趣きに変化し
    その変化の中、人々に愛されてきた
    清楚な寺院、、という印象であった



    予定よりもかなり早く訪問した我らであったが
    本堂にすでにおられた管理の方はストーブですでに部屋を
    温めてくださっていた

    本尊阿弥陀如来の左側に
    鎌倉期 運慶作と伝わっている
    聖観音像が祀られていた



    像高は50cm~80cmくらいの
    小さくまとめられた像であり
    所謂、平安中期~後期にある型式の像に思えた

    延暦寺横川中堂の聖観音菩薩立像の
    ご親戚のようだった

    この像が運慶作でないことは明らかであったが
    均整のとれ、気品漂う本尊はかなり腕のある
    仏師が作ったことは間違いない


    ここ最近は茨城県楽法寺の聖観音や
    香川県正花寺の聖観音像など平安初期の
    仏像に触れる機会がおおかったためか
    このような洗練された聖観音像は
    逆に新鮮に感じた


    この寺院は枝垂れ桜が綺麗なので
    またぜひその頃お越しくださいと
    地元の方からおすすめをいただいた


    また桜の季節に訪問したいと願う






    [20110504]

    隠れキリシタンが存在していた
    天草で心惹かれた
    仏像と出逢うことができた


    ひとつひとつの仏像は
    そのほとんどが手の中に
    収まるくらいの大きさである





    一瞬見ただけでは
    特異すべきものが
    なんなのかわからなかった


    しかし一つの千手観音の背中には
    十字架が彫られていることに気づく



    隠れキリシタン達は
    キリスト教を崇拝することを
    禁止されていた時代、
    仏像や神像をキリストと
    見立てて信仰していたのだ



    もちろん見つかれば処罰される


    そういうことを背景にこの仏像たちは
    いつでも、どこでも拝むことができるよう
    このサイズにすることが必要だったのではと考える



    人々が祈る、祈りたいという欲求は
    相当なものであると
    仏像の小ささの中に逆に発見してしまった






    [20110503]

    九州の訪問は一昨年
    鹿児島に訪問した以来だった



    鹿児島では焼酎、指宿の温泉、
    霧島の雄大な自然などに圧倒された



    九州は“原性の文化と海外との交流”
    こんな言葉が自分のざっくりとした
    九州のイメージである


    自分の人生、二度目の熊本県



    前回は青春18きっぷを利用して
    東京からまる二日かけて訪問した



    しかし今回は飛行機を利用して1時間30分で
    熊本空港に到着したというのだから
    飛行機って本当に便利な乗り物だなぁと
    いつもに増して余計に感じていた


    熊本空港に降り立ち
    空は快晴



    車を飛ばして天草



    途中、黒亭というラーメン店を
    訪問し熊本ラーメンを初めて食べた 



    熊本ラーメンの特徴は九州に多い
    豚骨だけではなく鶏ガラもブレンドされている点
    それゆえ博多ラーメンなどと比較すると
    スープ自体はまろやかに感じていた


    しかし熊本ラーメンのもうひとつの特徴である
    揚げニンニクはラーメンから漂う湯気の中に
    ツンとするスパイスを加えており
    まろやかだけでは物足りない
    自分の食欲を掻き立て、そして満たしてくれた



    上島(かみしま)下島(しもしま)という
    2つの島には現在、大きな橋がかかっており
    日本本土とは陸続きではないものの
    不自由なく天草には訪問することができる



    しかしながら熊本市内から
    3時間もかかってしまったのだから
    時間的な感覚からすると本土とは文化的にも
    異なるという可能性は高いだろう


    その特異な文化のひとつとして
    天草地方にはかつて“隠れキリシタン”が
    身を隠し、密かにキリスト教を信仰していた
    文化が残っている




    自分は鉄川与助(1897~1976年)氏によって建築された
    二つの教会を訪問した






    大江天主堂は小高い丘のうえにあり
    ロマネスク様式を用いた天主堂であり
    フランス人のガルニエ神父が自分の財産を投げ打って
    完成に至った天主堂である




    このガルニエ神父のもとには
    旅行記「五足の靴」の主人公達が訪問している



    その主人公達というのは与謝野鉄幹北原白秋といった
    名立たる文豪たちである




    ガルニエ神父との出会いが彼らの
    のちの執筆活動に何かしらの影響を与えたということは
    間違いないだろう




    白壁の天主堂は
    太陽に照らされ、眩しいくらいに輝いていたのだった




    大江天主堂から車で約10分ほど走ったところにある
    崎津天主堂に向かった



    小さな港町に立つ天主堂で
    自分が訪問したときは漁師たちが
    海を眺め、休憩をとっていたところであった


    漁村とキリスト教という日本と西洋の
    コントラストが残る景色がそこにあった


    市場の前に車を停めて
    崎津天主堂を目指した


    市場の前には鳥居が掲げられており
    そこを覗くと大漁を祈願したと思われる
    鯛をかかえた恵比寿像が祀られていた




    漁村の中の小道をあるくと
    小道の突き当たりに崎津天主堂が見えた




    自分の前を歩く女性二人は
    どうやらこの漁村の住民であり
    二人の背中を追いかけて天主堂の中に入った



    漁村と教会というコントラストにも驚いたのだが
    教会の中にも畳と教会という異国の二つの
    文化がひとつの堂内で重なりあっていた



    前を歩いていた二人の女性は教会の中の手入れをしており
    天主堂の中には当番表らしきものもあった



    当番表にはたくさんの人の名前
    おそらくこの天主堂を管理している地元の
    人々の名前なのだろう


    町のシンボルとしてまた町を護る
    守り人としてこの教会が存在していた





    鉄川与助という人は仏教徒だったそうだ



    自分はその事実を知り
    宗教の枠を超えて鉄川与助そして地元の人々が
    この教会を残してくれていることに感謝した






    [20110502]

    滋賀県立安土城考古博物館にて
    開催されていた
    第41回企画展『近江の観音像と西国三十三所巡礼』を訪問した




    滋賀県立安土城考古博物館は「近江風土記の丘」に位置し
    広々とした土地にその名前のイメージとは異なる
    一種の教会のような建築が印象的であった


    長浜 山門公民館の木造馬頭観音坐像
    延暦寺 慈恵大師像
    近江八幡 福寿寺 木造千手観音立像
    仏心寺 木造聖観音立像


    などが勢揃いする中で
    展示室の中央に立っている今回展示の
    主役級の像の中、ひと際目を引いた像が
    野洲 来迎寺聖観音立像だった




    極端な切れ長の目は
    人間でもなく仏でもなく異星から降りてきたかのような
    印象を与えてくれた


    顔にインパクトがありながらも胴の動きは静かであり、
    下半身を見た自分に、ふと“陶器”という言葉が浮かんでいた


    ドレープは幾重にも重なり
    轆轤をまわした時に生ずる波紋のように
    なめらかに繰り返ししていた


    この大きな目といい
    体のドレープといい、

    それはまさしく舞台に上がる前の
    メイクアップ中のダンサーのよう

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    迦楼馬 (03/27)
    こんばんわ、お疲れ様でした。
    いつの日か関西方面での開催を五劫思惟の想いで待っていますね(笑)

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    孔雀明王 仏像 愛知県で 検索中です。
    時折 孔雀明王の真言を 寝ているとき 唱えています。
    名古屋に 孔雀明王が ご安置 されている寺社は ないかなぁ
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    輪島を旅したとき立ち寄りました。素晴らしい仏像でした。

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    神像もたせてもらえるんですかw
    安産寺年明け御礼参りをさせてもらう予定です。
    ことし一年お世話になりました。

    不空 (12/17)
    正覚院 → 正覚寺

    不空 (12/17)
    安産寺が一番というのは、今年を表してるね! それにしてもたくさん相変わらず行ってるね!だめだよ、地蔵尊に怒られるよ(笑) 山形のは、開けてくれて良かったですね、巨

    株取引の流れ (11/20)
    とても魅力的な記事でした!!
    また遊びに来ます!!
    ありがとうございます。。

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