然るを訊く
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    [20110712]

    犬山の木曽川で鵜飼いを堪能した翌朝

    美濃加茂市中富町にある霊泉寺を訪ねた



    付近は国道が建設が活発になっており

    車社会が主体の近代化がより進んでいる

    印象を受けた

     
    霊泉寺は臨済宗妙心寺派の寺院で

    禅宗らしい洗練された庭園と本堂が特徴的だった


    本堂の中にある彩色の釈迦如来は

    中国、インドの異国情緒を感じる

    ボテっとした丸顔は

    風刺画や浮世絵のような情緒も

    感じることができた


     



    奥さんが銘菓“ふまんじゅう”とお茶を入れてくれ

    庭園を眺めながら、これから始まる観佛の一日が

    うまくいくよう願っていた


     

    御嵩町の天台寺院 願興寺を訪ねた

     

    願興寺を訪問した時は女性の住職が

    庭の草むしりに性を出していたところであった

     

    汗を拭いながら立派な本堂の説明をいただいた

    地方寺院ながらこれほどの本堂が建築されていることに

    驚きを受けた


     

    本堂からは荒々しい厳しさを感じ

    どことなく会津の勝常寺の国宝本堂と似ている印象を受けた

    住職の導かれ収蔵庫へと案内される

     

    収蔵庫には願興寺が誇る

    立派な諸仏がところ狭しと陳列されていた

    中央の蟹薬師の別名をもつ薬師如来は

    12年に1度の開帳である

     

    どの仏像もおおらかであり中でも四天王は

    仏師というよりも大工が作成したのではないかと

    思われるほどダイナミズムに富んだ仏像である


     

    願興寺は別名“東美濃の正倉院”という名前を持っており

    同じ岐阜県にある横蔵寺は“美濃の正倉院”と同様の

    俗称を持っているが、正倉院という名前にふさわしいのは

    どちらかというと願興寺のほうが適しているように思えた

     





    女性のご住職の抑揚のある般若心経は

    固い壁に囲われた収蔵庫の中で独特の音色を響かせ

    この般若心経を聞きに同月内に再度訪問してしまった

     

    富加町にある清水寺は願興寺より

    西に15kmほどバイパス伝いに向かい加治田を北に曲がったところにある

     

    富加町加治田は美濃から飛騨へ通じる街道の要衝に位置し、

    戦国時代には織田信長の中濃攻めの要衝として、

    江戸時代には宿場町として栄え、近隣の村々の中心だったそうだ

     

    清水寺にはその名の通り境内に水が沸き立ち

    寺院全体が水で潤っていた



     


    御年87歳の管理者である井戸さんもこの清水と縁があるのか、と

    聞いてみたがそこは関係がなかったそうだ

    幼少のころに井戸さんのお父さんがこの地を訪問し

    荒れに荒れていたこの寺院を悲観し、住職になることを

    引き受けたそうだ


     

    収蔵庫に安置されている十一面観音像は

    十一面観音像としては珍しく坐像の形を示す


     

    都仏のような華やかさも感じながら

    緊張のある体躯の表現に

    地方仏師の精神も通じる部分が感じることができた

     

    十一面観音の坐像は不思議な魅力を感じることが多い

    京都木津の現光寺、茨城桜川市の小山寺、同じ岐阜県でいうと

    日吉神社の本尊も坐像である

     



    清水寺の本尊である十一面観音像も例外ではなく

    本尊と対峙した際には身震いを感じるほどの

    オーラを感じた



     

    井戸さんの高齢が心配ではあるが

    清水寺の石段を杖を使うことなく登るほどだ

     

    まだまだ元気で般若心経を読み上げてくれることだろう
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    [20110709]

    名古屋北区に存在する
    天台寺院 成願寺を訪問する



    近くには庄内川が流れ
    その岸壁にある住宅街に突如として
    現れる近代的な建築が成願寺である



    平成21年に改宗800年記念
    天台宗記念 住職の60歳記念を祝い
    約7億円の改修費用を投じて
    近代的な本堂へと生まれかわった



    天台宗聖徳寺の末寺として745(天平17)年創建と伝えられ
    元の名は「常観寺」と名付けられる

    鉄筋造りの本堂の中で
    名古屋市内でもっとも古い仏像とされる
    十一面観音像を拝した



    体のラインは細く
    右腕をしなやかに垂れる
    胴だけを拝見するならば
    飛鳥の百済観音像のような
    流線的な印象も受けるが
    平安期の像からするならば
    体の凹凸がやや平面的な印象も受ける

    こういった仏像の場合
    いくつかの同種の像を共に造られることが
    多いように感じ、そもそもは本尊としてはではなく
    千本釈迦堂の六観音のようにいくつかの像と
    セットで創られたのではないだろうか




    平安初期の像だというが
    若干それよりかはあとの像かもしれない

    住職はこれからの宗教も何か変化をしていけれなければと
    ならないと感じている、と語っていた

    変わりゆく環境の中でも
    かつての像は変わらず存在していくことに
    宗教の脈々と受け継がれていく
    教えの根源とともに
    変わっていくものと変わらないことの
    重要性を感じていた






    [20110703]

    愛媛県松山市にある
    伊丹十三記念館を訪問した

    澄み切った青空に
    ブラックの壁が映えていた






    「十三」の名にちなみ、
    13のコーナーに分けられた常設展

    『やぁ いらっしゃい』と迎えられる







    いろんな作品を
    世に生み出し

    それは映画にとどまらず

    でも

    父親とのこと
    暴力団に襲撃されたこと
    自殺のこと

    この人は
    何者なんだ?!



    観終わったあとも
    まだまだ奥深い人だと感じた



    [20110703]

    下伊那の奥にある程野地区にある
    薬師堂にある薬師像がどうにも心に残り
    飯田市内から約1時間の行程で訪問した

    丸山さんの本に出ていたこの薬師像がどうしても
    気になり遠いところまで足を伸ばしてみた



    教育委員会を介して拝観のお願いをし
    予定よりも1時間ほど早く到着する

    東に南アルプス
    西に中央アルプスいわゆる渓谷のような場所にあり
    個人的には土砂崩れなどが多かった地域ではないかと想像する

    それを表すかのように程野薬師堂は高台にあり
    麓の小川沢を見下ろす位置に立っていた





    現在管理をされている山崎さんを少し
    早く呼び寄せることになってしまったのだが
    “全然気にすることないです”と朗らかな
    笑顔で迎えてくださった



    堂の戸を開け放ち山崎さんの手により
    厨子の扉が開く

    とても驚いた
    自分が持っていた本に記載されていた薬師像の
    面影はものの見事に全く残っていない




    唯一、感じる部分としては隣にあった


    “これ修理だしたら、こんなんなって帰ってきちまった”
    と残念がっていた


    詳しく話を伺うと修理の発注先が京都や奈良などの美術院ではなく
    近所の能面師に依頼をしてしまい、“現在の姿を残したまま古いところだけを修理してくれ”
    と伝えたハズなのにいざ出てきたところこのような
    彩色鮮やかな像がでてきたのだという


    このような地元民であり
    仏教に帰依していない山崎さんの反応を見ていてすら
    これがもとの仏像の姿だから、、という人もいるが
    我々の心のなかには時代の積み重ねを重要視する意見が
    多いように感じる



    各地の仏教美術の知識者が訪れるが皆口を揃え
    昔の姿にしたほうがいいというが地元民としては
    どうしていいのかわからず困惑しているように思えた


    薬師堂の天井には薬屋や商店などおそらくこの
    薬師像を修理した際に寄付を募った証明のようなものだった



    能面師、というキーワードが出てきたことで
    お?!と思ったのだがこのあたりの地域では
    霜月祭というものが恒例行事として残っているのだそうだ

    ※薬師如来像85.7cm 室町時代


    拝観が終わったあとは
    近くにある“村の峠”にて小川沢の流水で作られた蕎麦をオーダーしたのだが
    これが水々しく元気になりそうな味でとても元気が出た





    そして村の峠に上記の霜月祭の写真が展示されており
    ぜひ訪問したいと心に決めた


    ■霜月祭 丸山氏の書籍より

    上村地方には、村人たちの信仰の強さを物語る霜月祭が古くから伝わっている。
    (旧暦霜月)の寒をついて湯立神楽を中心に夜を徹して行われる神仏混渚の祭りであるが、
    この土地の素朴な信仰し」エネルギーをそこに見ることができる。








    村の峠での一服のあと飯田市の南にある長野県下條村にある
    合原阿弥陀堂を訪ねた



    ここも教育委員会経由でご紹介いただいた松下様が
    すでに新築された公民館を開けていただいており、
    中の阿弥陀如来像を拝した



    像高87cmの典型的な藤原式の阿弥陀像であり
    うつむきは柔らかく、穏やかな表情をしている



    若々しい阿弥陀でありやや男性的な印象も受ける



    扉の上にはかつての阿弥陀如来像の写真が出ていたが
    黒々しい漆だろうか、が露出しており
    これを忍びないとと思った地元住民が平成5年に
    文化庁主任調査官松島健さんと明珍昭二さんに
    修復を依頼し、現在の当時の素地を見せる姿になった



    合原阿弥陀堂縁起-パンフレットより-


    堂の創立と開山僧または開基者については、
    これをたどる史料に欠き全然不明という外はない。
    室町時代初期から戦国時代末期にかけて、甲州武田氏の庶流下条氏がこの地に来
    て付近を押領し、対岸吉岡城に在って阿南地方の雄として栄えた。同氏は城の鬼門
    に当たるこの阿弥陀如来に帰依し、尊信したと伝えられるが、像の造営はそれより
    ずっと古いのであるから堂の創立は下条氏以前である。

    元禄16年、合原村と入野村に境論があった。同年3月25日に幕府裁許状を裏書し
    た地図には数株の老木の下に阿弥陀堂と周囲に15戸の人家が描かれていた。現在は
    大木もなく戸数も8戸に減っている。

    江戸時代には境地内外に松、杉の老木が多く茂生していたといわれ、維新の頃に
    切り払われ松の根を掘り、あかしを採って上納したという。

    境内は南北4間、東西8間にして中央北寄りに阿弥陀堂があり、堂は改築前は単
    層の寄棟造りの藁葺で間口3間、奥行き2間半、中央奥部に1尺5寸に3尺の張り
    だした須弥壇があり、厨子内に坐像が安置されていた。また、左右両側の壇上には
    33個の石像観音がならんでいた。その他堂の東側には、秋葉山象頭山ときざんだ石
    碑と如意観音を半肉彫にした石がならんでいる。堂の後ろ北側には江戸時代には郷
    蔵があったといわれるが今はない。

    なお堂の南西の断崖部の字地を阿弥陀平といい、西側崖部の下を通っている旧街
    道(遠州街道)に接する西の水田地帯には阿弥陀前の字地もある。
    合原の区中では年々3月13.14.15日の3日間はお祭をして念仏を申し上げてき
    た。その時に使った百万遍の大数珠も残っている。
    平成3年3月28日に村、地区の方々の熱意により、現在の阿弥陀堂が改築され、
    仏像も平成3年9月12日に東京にて修復がなり、帰座され現在に至っている。






    修理による2つの結果を見たが
    個人的にはやはり時代の変遷を残す修理のほうが

    日本人の美意識に近しい気はしている





    [20110702]

    カーナビが思わぬ道へ案内したことで
    到着するまでに思わぬ疲労感を背負ってしまった

    国分寺跡が目の前に大きく広がる
    この地はどことなく奈良の雰囲気にとても似ていた

    本堂の裏手から崖のうえに
    建てられた収蔵庫を目指した

    蛇腹の階段を登っていくと
    目の前に丈六の薬師如来が現れる



    坐像ではあるが3mを超える巨像であり
    オレンジ色の光に照らされて
    この収蔵庫自体が薬師本尊を中心とする
    ひとつの仏教世界を創り上げていた


    本尊は戦火の末、江戸時代の初期に土中から
    発見されたというエピソードが残っている



    確かに仏像の素地がむき出しになっており
    仏面からも土中の中でずっと時を待っていたという
    我慢強さのような一面を覗かせていた


    本尊を見てうしろを振り向くと
    青野ヶ原の大地が眼下に広がる



    この広い大地を護る守護神として
    巨像の薬師如来はとてもたくましくみえた





    wikipedia 美濃国分寺

    美濃国分寺(みのこくぶんじ)は、岐阜県大垣市にある仏教寺院で、
    高野山真言宗の準別格本山である。山号は金銀山。
    詳名は金銀山瑠璃光院国分寺。本尊は薬師如来。

    現在の美濃国分寺は江戸時代初期の再興。
    西美濃三十三霊場満願札所。


    沿革

    741年(天平13年)、聖武天皇により国分寺建立の詔(みことのり)が発せられる。
    美濃国分寺は美濃国府中(現:不破郡垂井町)に近い
    青野ヶ原(現大垣市)に建立される。
    775年(宝亀6年)に暴風雨で破損したという記録があり、
    この頃には建立されていたと推測される。

    887年(仁和3年)、火災で焼失。本尊などは運び出され、
    一時美濃国席田郡(後の本巣郡の一部)の定額尼寺(旧糸貫町、現本巣市に存在と推測される)に移転する。
    再び元の地に再建され、1004年(寛弘元年)、美濃国司源頼光により修復されたという記録がある。
    しかし、南北朝時代の1338年(延元3年/暦応元年)の青野原の戦いなどの戦乱で焼失し、
    本尊も行方不明となる。

    本尊薬師如来像は、江戸時代初期、真教上人が土中から見出したものと伝える。
    1615年(元和元年)、旧美濃国分寺の北東に、金銀山瑠璃光院美濃国分寺として再興される。

    重要文化財(国指定)

    木造薬師如来坐像 - 高さ304.8cm。寺伝に行基の作というが、
    実際には平安時代後期の作とみられる。伝承によれば、
    ケヤキの大木を行基が自ら一刀三礼をし、彫り上げたという。
    「馬だらい薬師」の別名があり、土中に埋没している際、
    背中のくぼみが土中から出ており、このくぼみに水を溜めて
    馬の足を洗うのに使用していたという話が伝わっている。






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    迦楼馬 (03/27)
    こんばんわ、お疲れ様でした。
    いつの日か関西方面での開催を五劫思惟の想いで待っていますね(笑)

    村石太い&しなもんてぃー (02/16)
    孔雀明王 仏像 愛知県で 検索中です。
    時折 孔雀明王の真言を 寝ているとき 唱えています。
    名古屋に 孔雀明王が ご安置 されている寺社は ないかなぁ
    宗教研

    こばりん (01/13)
    輪島を旅したとき立ち寄りました。素晴らしい仏像でした。

    yoshiki (12/23)
    不空さん

    神像もたせてもらえるんですかw
    安産寺年明け御礼参りをさせてもらう予定です。
    ことし一年お世話になりました。

    不空 (12/17)
    正覚院 → 正覚寺

    不空 (12/17)
    安産寺が一番というのは、今年を表してるね! それにしてもたくさん相変わらず行ってるね!だめだよ、地蔵尊に怒られるよ(笑) 山形のは、開けてくれて良かったですね、巨

    株取引の流れ (11/20)
    とても魅力的な記事でした!!
    また遊びに来ます!!
    ありがとうございます。。

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