然るを訊く
[------]

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


--------(--) --:-- スポンサー広告
  • | このエントリーを含むはてなブックマーク
  • | 編集 |
    [20120331]

    兵庫県加東市の国道脇に広がる田園地帯のど真ん中にお堂があった。




    ここは地域の人々からは“田中薬師堂”という名で親しまれている。



    お堂の中に入ると木造の厨子の中に同じようなサイズの
    仏像が闇の中にひっそりと存在していた。

    本尊は中央に金剛界大日如来坐像、
    向かって左に聖観音坐像、右に薬師如来坐像という並びである。
    どの像も穏やかな丸みを帯びており、表情もどこか静かである。









    ここの田園地帯は開発が進んでいるようで
    近所には大規模スーパーが建っており、このお堂、この仏像たちとの
    違和感があった。

    とても地域の人から大事にされたのであろう、その温かみが
    仏像を通して痛いほどに伝わってくる

    仏像に通じている人であれば疑問に思うであろう
    “本尊、大日如来なのになぜ薬師堂?!”という疑問への
    解を長年このお堂の保存に寄与してきた堀内さんにぶつけたところ

    三体の中でも特に地域の人に親しまれたのが薬師如来であったそうで
    地域民からは“お薬師さん、お薬師さん”と呼ばれていたそうだ。
    その名残で田中薬師堂という名前が残った。









    田中薬師堂の本尊は“虫除けのほとけ”という伝承があるそう。
    なんでもこの虫除けの虫は「蛇」という意味。
    そのことから蛇をこの地域で見かけることは無いのだという。






    こんな伝承が出てくるあたりからも
    この仏像たちが地域の人々に親しまれてきたことを物語っていた





    スポンサーサイト

    [20120331]

    世羅郡の文裁寺を訪問したあとに国道に乗り
    真言宗御室派の岩谷山青目寺を訪ねた

    市の北方にある亀ヶ岳(標高540m)の中腹にあるので
    あるがそれまでの山を崖を這うようにして伸びる車道を
    登っていくのは神経が擦り切れるようにスリリングだ

    そして管理者の有永さんがほどなく現れ
    収蔵庫の鍵を開けてくださった。



    現れたのは聖観音立像、日光月光菩薩。
    ともに平安初期の作という艶かしい笑みと曲線を称える。
    全てが1m未満と比較的小柄な像であり
    量感という意味ではややスリムな像にも思えた。



    とくに日光月光菩薩像の造像は平安初期に下り、
    木心乾漆の技法が用いられている

    日光菩薩は個人的な好みであるターバンのような
    被り物をかぶっており薄く笑みを称えている



    一方で月光菩薩は、ややのけぞったように
    背筋をピンとせり上げ、厚い唇、固く閉じた瞼に
    この人の意志を感じさせるようである



    度重なる焼失を免れた仏像が現在収蔵庫に残るのであるが
    そういった災害の中で本来、中尊にいるべき
    薬師如来は失われてしまったのかもしれない

    災害の中で現在は無住の寺となってしまい
    真言宗御室派の西龍寺(府中市栗栖町)のご住職が
    兼務で管理をなされている
    この山の中腹まで来るのは大変なご苦労があることであろう。

    その青目寺からは府中市が一望できる。
    この町の遠く彼方、讃岐屋島寺の青目上人がこの地に開いたというが
    城との交信のためこの高台へ開いたという説があることを伺った。






    [20120328]


    「おいぼ」という名称は地元の人々から
    親しみを込めて「おっぽ」と呼ばれている

    群馬県沼田市石墨町の
    小高い丘の上にある追母薬師堂を訪ねた。
    近くの路面は凍りきっており、直前にレンタカーを
    スタッドレスタイヤに切り替えていたことが
    幸いし無事にたどり着くことができた。



    到着するとすでに管理人の松井さんが車の中で
    我々を待ってくださっていた。



    「おっぽ」という親しみある名前がついた薬師堂は
    年に数回の地元の祭りで開帳されている。









    御前立の先に立派な収蔵庫が立ち
    薬師如来、日光月光菩薩の脇侍、そしてそれらを
    取り囲むように十二神将像が狭い空間に犇めき合っている。



    166cmと等身大の薬師如来立像は男性的なまた
    地域の人のような素朴さを感じることができる





    薬師如来の周囲を取り巻く十二神将像は
    時代としては比較的若い像に感じることができたが
    個々のポージングは完成した抑揚のある軽快さを
    感じることができる













    「これみてみるか」と松井さんが木箱に入った
    十二神将像の残欠を見せてくれた。そこにはビッシリと
    十二神将像の身体の一部がある。
    その一個一個が歴史を語るように今はお堂の隅にまとめられている





    またお堂の中には合計18体の石造の十王像が
    松井さんが作ったという木製の棚に並べられていた。









    どれも丸々としたフォルムの中に形ではなく
    信仰を取った地域の信仰を感じさせた




    [20120326]

    東高尾観音寺を破損佛群と伸びやかなに2体の観音像に出会ったあと
    観音寺の前にある一つ山というほどでもない丘をを越えたところにある
    大日寺を訪ねた


    鬱蒼とした新緑深い丘であったが緑地の中に
    貯水池が突如として現れ、田舎の風景の中に人工物が現れる様は
    シニカルに人の存在を主張しているようであった。
    人が人ということを主張しないと存在を忘れてしまう場所、
    ここはまだそういうところだ。
    大日寺への道は急激な坂である。
    ジェットコースターを下るかのようにワゴンを走らせ
    滑らせるように大日寺にたどり着いた



    木造の本堂で住職の話を聞く。ずっと東京に暮らしていたという
    住職は田舎人というよりも都会の人、悲しくも自分と同じ匂いを
    感じた。住職からかつてのこの大日寺がいかに大きな寺院であったかと伺った。
    詳細なものが焼失してしまっているがそれは相当に大きく
    山陰地方の仏教文化圏の中心、もしくはそれに相当する寺院で
    あったようだ。

    本堂の中で石仏の大日如来を拝見させていただいた。はっとした。
    間違いなく石仏の中でも優品に相当するものである。特に身体の
    肉付けが、これが鉱物であることを忘れさせるほどに
    まるまるとした曲線を描き、その石仏の存在感を感じさせる。
    それは“ある”ではなく“いる”という感覚である。



    本堂の裏側の収蔵庫には国の重要文化財である
    阿弥陀如来がいる。東高尾観音寺の破損佛群とは一転、
    見事な優美さを称える阿弥陀如来である。


    像高110cmの坐像であり坐像にしては堂々たる大きさを備えている。
    1226年鎌倉初期上品上生の阿弥陀如来であり、写実性を求める
    鎌倉期の時代の人々の趣向が見事に反映されている像である。
    左手が後の修理によるせいか通常の阿弥陀如来よりも少しに
    高く持ち上げている。









    ※一般的な阿弥陀坐像 【愛知県稲沢市 舟橋安楽寺:阿弥陀坐像】※


    収蔵庫から戻るとき、右手にあるボロボロのお堂の存在が
    気になり、木造の腐りかけの格子から埃を頭からかぶりつつ
    中を覗いた。そこには大きな破損佛が存在した。しかしながら
    それ以上は管理の問題もあるかもしれないが、そっとしてあげようと
    いう感情に支配され、住職に中を覗かせてくれ、という申し出は
    しなかった。









    本堂に遺された仏像たちからも
    その昔、大日寺が誇った規模を容易く伺うことができる










    [20120324]

    新しい年の訪れを告げる日の出の前、闇の中
    たった2両の列車に乗り込んだ。
    三重県と奈良県の西部を走る青山高原の中を抜ける
    長いトンネルはとても長く感じた。
    トンネルを抜けてもそこは闇。同じ車両の1つ隣の座席に座る
    乗客がかじかんだ手を一生懸命に温めていた。

    ほとんど一直線の路線にも関わらず約1時間かけて
    伊賀神戸駅へ到着した。伊賀線と近鉄大阪線が交わりあう駅ということも
    あって、初詣客を待ち構えるべく駅員が何人も
    ホームに立っていた。

    正月の特別ダイヤの時刻表を確認し帰りの電車の時間を定め
    駅の改札を飛び出した。それは寒さから逃げるようにと
    思ったが、今思えば寒さの中に飛び込んだのかもしれない。
    伊賀神戸の町は凍えていた。
    駅から20mもすると周囲から光が奪われる。
    暗順応した視界が仄暗いアスファルトに書かれた白線を捉える
    川も見えた。それは木津川だった。



    京都の木津川はその流域に蟹満寺釈迦如来坐像・海住山寺十一面観音・
    観音寺の十一面観音など多数の仏像を抱えるが
    これから向かう常福寺も流れを組んでいることがわかった。

    木津川沿いに伊賀の町へと向かって歩いていく
    20分ほど歩くと現在の国道から少しそれた集落の中に
    常福寺へのかつての参道と思われる狭い道が現れた。

    闇から現れた外部の人間を軒先の犬が吠える。
    この時間にここを通る人間もそうは多くないのだろう。

    家の通路ではないかと思えるような道を歩いて
    真っ直ぐに続く道路に出た。その道の先には常福寺の山門がある。
    ふと右の景色を見るとそこには太陽のオレンジが見えた。
    それはただの日の出ではなく2012年を告げる初日の出だった。
    思わず太陽のほうに向かって合掌をする。
    昨年のような悲しいことが日本に起きないようにと願った。





    山門への石段を登るとすぐに本堂があった。
    靴を脱いで本堂の中にあがると、住職が朝早く多くの
    参拝者を迎える準備をされていた。

    「東京から来ました」と告げた自分に住職は
    本堂の電気をつけてくださった。その電気に照らされて
    秘仏の本尊である五尊の不動明王が突然と現れる。

    闇の中に浮かび上がった五尊はとても勇ましく
    綺羅びやかに視界に飛び込んでくる。



    長谷寺本尊十一面観音の余木で平安末期の東寺像に倣って
    製作されたとしたと伝わる像。時代背景からすると若干スリムなように思える。
    山号の江寄はかつて琵琶湖がこの地まで続いていたことから由来し
    近年、付近から琵琶湖の貝も出土されているそうだ。
    全て像高が180cm前後であり、ここまで大きな五大明王像が
    揃っているのは見たことがない。














    かつての人々はこの像に対して人々の平和と健康を祈り続けてきたのだろう。
    そう思ったらさっき自分が合掌した初日の出とこの五大明王像とが重なった。






    [20120320]

    「ここ学生の時にはここからバスに乗って淡路島へ渡ったなぁ」と
    思い出しながら舞子のバスターミナルの脇を通り過ぎた



    天気はよく晴れていて瀬戸内海の水面へ照りつける
    日差しがキラキラと輝いていた


    淡路島へ上陸し最初に向かったのは
    淡路島の長澤という地区にある尼寺、東山寺



    本堂の左手にある収蔵庫にある薬師如来と
    それを囲うように祀られている十二神将像を拝観した




    数奇な運命を辿る像であり
    元々は石清水八幡宮の別棟護国寺の像であり
    廃仏毀釈の折に東山寺へと移された

    地区の老人が子供の頃に、その運ばれてきた様子を
    間近で見たことがあったそうで、仏像たちが白い布で
    グルグル巻きになり運ばれてきた厳かな雰囲気は
    子供の心ですらも感じられたそうだ

    訪問してみるととても分かるのだけれど
    この東山寺は猪が現れるのでは?!と思うほどの
    人里離れた山奥に存在している

    この立地にわざわざ京都から運んできたとされる
    本尊は廃仏毀釈という時代の流れから
    なんとしてでもこの仏像を護るんだという
    強い気持ちを感じとった

    面相は後述する成相寺の薬師如来に比べると
    とても穏やかである
    もとは護摩堂の本尊であり毎月8日に護摩を焚いた為に
    黒ずんでいる






    平安前期の制作ということで
    太腿部T字の衣紋表現があるが
    胸部の食道部まで逆T字での表現があった。





    一方で十二神将像も中央らしい
    動的な躍動感をどの像からも感じられるのであるが
    ガラスケースに入ってしまっているのがとても残念であった










    石清水八幡宮の前には九州にもあったという伝承も残るという
    この仏像たちは、この淡路島の奥地で自分たちの居場所を
    ようやく得られたと、ほっとしているのだろうか



    [20120305]

    中央市の永源寺を訪問したあとに
    南アルプス市へと移動し曹洞宗寺院である
    大神山伝嗣院を訪ねた

    境内はブランコやとても大きな収蔵庫があり
    とても広々としている



    お寺の裏側から境内に入り
    車を停めて目当ての石造大日如来を探すが
    なかなか見当たらない

    10分ほど探しても分からなかったので
    止む無くお寺のチャイムを鳴らし住職に聞くと
    別の場所にあることを伺って指示された場所に
    車を走らせた

    大日如来は南アルプス市全体を見渡す
    丘の上に立っていた





    この日は厚い雲に覆われてしまっていたため
    確認することができなかったのだがこの大日如来は
    富士山を向いているだという

    そして由来が全く分からなかったのだが
    この大日如来は地元の人からは
    おでいにっちゃん”という名前で
    親しまれているという



    この不思議な名前と同じように
    本尊の地元に根差したことが明確に分かるルックスと
    その人々を守ろうというこの像が
    座するロケーションに感動し



    次なる目的地ギャラリートラックスがある
    北杜市へと車を走らせた





    [20120305]

    山梨県中央市にある豊田山永源寺
    国重要文化財である聖観音立像の開帳があるということで
    中央道を経由して訪問した

    インターからは約10分ほど。
    近くに中学校がありその西側に境内を構える



    真言宗から改宗した曹洞宗寺院で
    加藤三郎兵衛照政が聖観世音菩薩を奉祠して、
    948年に再建された。

    年に1度、3月の第1日曜日に開帳される
    聖観音立像は境内の観音堂に祀られていた



    朝早くの訪問ということで人はまばらであったが
    檀家の世話役の方が一人、観音堂で来客の対応をされていた

    聖観音立像は国重要文化財に指定されたということで
    コンクリートの収蔵庫の中に、
    木造の厨子のまま祀られていた



    藤原時代の典型的な基準作であるが
    立像であるため身体のプロポーションとしては
    すらっとしており気品を漂わせる





    独尊としても十分な優美な雰囲気は感じるが
    本尊として製作されるにしてはやや小ささや
    華奢な儚さも感じることから、何処ぞの仏像の
    脇侍として作られた可能性もあるのではないかとも
    考えられる

    現在檀家は100軒にも及んでいるというが
    同寺は、度々の水害によって荒廃し、また昭和26年には
    聖観音立像自身が盗難に遭ってしまうという。

    度々の災難を受けてしまっているものの
    幾度となく再建してきたこの仏像に対し
    大震災から1年を迎えようとする今日
    心惹かれずにはいられない










    [20120305]

    少し前の話。
    2012年の元旦に実家である
    栃木県周辺の寺院を巡った

    訪問した日は1月3日
    元三大師こと良源の命日ということで
    各地で大祭が行われていた

    栃木県の南部~茨城県の西部は
    昨年北関東自動車道が開通し
    交通の便が大変良くなっている

    寺岡山施薬院薬師寺
    元三大師への祈祷が大変有名であることから
    一般には“寺岡元三大師”の名で親しまれている




    朝一で訪問したのであるが
    国道の方まで車の列が伸びるほどに
    賑わいを見せていた

    本堂では元三大師像が1月3日のみで
    開帳をしていたが自分は
    あまりにも多くの参拝者が並んでいたため中に入っての
    拝観は叶わなかった、、というよりも諦めてしまった



    当山のHPを確認すると降魔大師像が収められているとのことだが
    秘仏ゆえそちらも確認することができなかった

    本堂の外は屋台が軒を連ねており
    この足利・佐野地域の名物である
    いもフライ”も売っていた
    これが今まで多くのいもフライを食べてきたが
    それのどこよりも美味かった



    県南地方の名物は数多あるが
    そのひとつ佐野ラーメンでお腹を満たした



    最初に記載した北関東自動車道を東に向かって
    県境を渡った天台宗曜光山月山寺







    1年で1日のみ本堂の元三大師像が
    開帳されているということを以前、
    月山寺美術館の観音立像を観に来た際に
    老僧から話を伺った

    ちなみに月山寺美術館は休館に入ってしまったということで
    中の青森県天台寺の諸仏に似ている観音像などは
    拝観することはできなかった

    綺麗に清掃が行き届いている庭園を抜けて本堂へ
    若いお坊さんが目的の元三大師像が本堂の奥に
    あるということを指し示してくれて
    長い渡り廊下を抜けて元三大師がそこにあった



    目を大きく見開いた、僧形像にしては量感ある
    大きな像であった

    暗がりの中にありながらも目を見開いた姿は
    とても印象に残った

    宇都宮への帰路の途中で益子町に寄り
    スターネット”で休憩













    帰りは芳賀町の城興寺(延生地蔵尊)に立ち寄り
    2012年のわが家の安泰を祈念したのだった


    角大師の御札もお忘れなく








    HOME
    copyright © 2005 yoshiki all rights reserved.

    Template By innerlife02

    RSS1.0 ,

    [mixi]♥Sexy仏像♥&仏List
    カテゴリー
     
    最近の記事
    最近のコメント
    迦楼馬 (03/27)
    こんばんわ、お疲れ様でした。
    いつの日か関西方面での開催を五劫思惟の想いで待っていますね(笑)

    村石太い&しなもんてぃー (02/16)
    孔雀明王 仏像 愛知県で 検索中です。
    時折 孔雀明王の真言を 寝ているとき 唱えています。
    名古屋に 孔雀明王が ご安置 されている寺社は ないかなぁ
    宗教研

    こばりん (01/13)
    輪島を旅したとき立ち寄りました。素晴らしい仏像でした。

    yoshiki (12/23)
    不空さん

    神像もたせてもらえるんですかw
    安産寺年明け御礼参りをさせてもらう予定です。
    ことし一年お世話になりました。

    不空 (12/17)
    正覚院 → 正覚寺

    不空 (12/17)
    安産寺が一番というのは、今年を表してるね! それにしてもたくさん相変わらず行ってるね!だめだよ、地蔵尊に怒られるよ(笑) 山形のは、開けてくれて良かったですね、巨

    株取引の流れ (11/20)
    とても魅力的な記事でした!!
    また遊びに来ます!!
    ありがとうございます。。

    ブログ内検索
    月別アーカイブ
    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。