然るを訊く
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    [20120528]

    馬道の裏手にある小高い丘は「走井山(はしりいさん)」と
    名前が付けられている。現在はそこに公園ができており
    この走井山公園の敷地内にある走井山 勧学寺を訪問した。



    当日は実家がすぐ隣町であるという友人のキッシーも
    たまたま実家に帰っていたので合流して拝観することができた。



    勧学寺の千手観音は8/1に開帳をしている。
    本尊は172cmの等身大の千手観音であり
    一木造りの内刳を施す像である



    下半身には翻波式の衣紋を残し
    旋転紋も確認することができる
    全体的な彫りが弱いため平安中期も後期に差しかかろうと
    している時代に造られたものではないだろうか

    この像の特徴としてはなんといっても
    四十二手の間に差し込まれた千手である
    いわゆる“くつべら”のような仏手が印象的である



    同じ作例としては寿宝寺“十一面千手千眼観音立像”や
    あまり前に出ることはないが紀三井寺の秘仏の
    千手観音像も同様の作例がある

    この像を見ているとどことなく“立木仏”のような
    樹そのものが佛として掘り出されたかのような印象を受ける

    桑名高等学校付近の海善廃寺の旧本尊という云われがあり
    流転の像として走井の山の上から現在は馬道の町の方向を向いて
    町を見守り続けている



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    [20120523]

    豊川市を走る東海道の南側。御津町にある
    曹洞宗呑海山 法住寺を訪問した。

    到着してみると想像以上に広い境内と
    そこに咲き乱れる桜の木々に驚く。

    法住寺の本尊である千手観音立像は
    本堂の裏手にある収蔵庫の中に祀られている
    像高167cm一木造りの素晴らしい像である。



    丸々とした顔は少年らしい若さを感じるが
    一方でしなやかに伸びる身体は女性的でもあり
    優美な藤原時代における人々の憧れのようなものを
    映しだしているかのようだ

    それゆえ光に照らされたその姿はデータよりも
    大きいものと感じる。

    寺伝では宇治山田の上善寺にまつられていたが
    明治時代の廃仏毀釈の際、海に捨てられたものが
    この土地の村人によって拾い上げられて
    この法住寺に祀られているとの話が残る



    この像はヒノキ科の常緑高木である「あすなろ」から
    掘り出されたものであるといい、それを尋ねたところ
    本堂の前に植えられた「あすなろ」の樹を
    案内していただいた。



    青々とした葉を付けとても元気な葉の印象を受ける。
    まるで千手観音自身がそこにいるかのような
    そんな気がする。

    自分はその後、法住寺をあとにして浜松市にある
    摩訶耶寺に訪問した。この摩訶耶寺にも藤原初期の千手観音が
    祀られているのであるが法住寺が少年らしい仏像であったのに対して
    摩訶耶寺の千手観音は薄く紅を浮かばせた女性的な仏像であった

    法住寺と対比させるうえで東海道に伝わる
    この二体の千手観音はとても印象に残っている





    [20120516]

    淡路島の北部域にある生穂淨瀧寺では
    驚くべき仏像群との出会いがあった。

    大型の車では手前のところまでしかいけず
    車から降り歩いて2分ほどで淨瀧寺の本堂が現れた。



    住職に案内されて本堂まで行くと
    すでに開けられていた厨子。

    そしてその中に
    ものすごい数の仏像が納められており
    胸の高鳴りとともに口があんぐりと開いてしまった。



    住職が語り出す。
    ご住職は36年前にこの地にやってきた時
    虫や鼠に喰われていた五智如来をに発見したという。
    ぼろぼろだった厨子は自身が修理をしたという
    なかなかパワフルなご住職の逸話が楽しかった。


    一見したところ平安中期~平安後期像、
    二の腕、胸部のふくらみ切れ長の目が印象に残る。
    中央の佛は高く盛られた髷があり
    線は身体は細いながらもほどよく引き締まっており
    たゆたう優しさを感じる。





    手前には薬師如来とかなり小さくはあるが
    十二神将像もある。薬師如来は中央の大日如来と
    比較するとやや地方の素朴な印象を受けるが
    逆に親しみを感じる部分である





    淡路島では成相寺、東山寺くらいしか仏像はないと
    思っていたので、この五智如来との出会いは強烈に印象が残っている。



    東京に戻った今も淡路島の人里離れた地で
    ひっそりと身を寄せ合う仏像たちに心惹かれ、
    また再訪を誓うのであった






    [20120512]

    伊勢本街道へ続く道の途中にある「西峠会所」を訪問した。
    近くにあるコンビニエンスストアの駐車場に車を停めて
    管理者の小野さんと待ち合わせをした。

    そこから裏の山手に登っていくのであるが
    小野さんはお堂に到着しかかったところで
    「この道は昔、丘だったところを切り開いて作ったのだ」と
    説明してくださった。そしてそのかつての土地があの高さなのです、と
    3Mほど高い位置を指した。
    そして、その指さした方向に「西峠会所」と呼ばれる
    集会所が存在した。



    鄙びた集会所はもともと地元民が集まって
    井戸端会議をしていた場所だったそうだが
    現在は綺麗な施設ができており、「西峠会所」は
    佛との縁日にのみしか使われていないのだそうだ

    しかしながら月に1回は掃除に来ているということで
    古い建物の割には清掃が行き届いているなぁと感じるのだった

    そして中央に目をやると薬師如来が鎮座していた。
    83.7cm、桧一木平安後期。頭部彩色。
    標準的な定朝様の薬師であり洗練された印象だ。



    板光背は後補だが当初から板光背なら
    同じ宇陀市室生寺の影響を受けたのかもしれない。

    当初から寺ではなく村人の集会所に祀られていたと考えられている。



    薬師如来から右に目をやると「ムラサキ地蔵」と言われる
    岩の断片が残るのだが、このムラサキ地蔵は床下の地の中に
    存在されると云われており、眼の病気にご利益があると
    信仰されているのだそうだ。とても珍しいものを見せていただいた。



    「天ノ森」という名前が残り1400年代までは「墨坂神社」が
    あったことがわかっている。藤原時代の表情をしながらも
    一木の技法を用いていることからもともとこの地にいた
    仏師による作だと考えられているようだ。









    [20120509]

    長野駅から直線距離にして約2kmという場所の
    正覚院に平安期の十一面観音があるということを知り、
    初春の時期に小布施の「桝一客殿」への訪問と合わせて
    立ち寄って本堂内にある収蔵庫に祀られた
    十一面観音を拝観させていただいた。



    平安中期ころの作と感じ、やや下膨れの観音像であるが
    小顔であり、その小さな顔から徐々に視線を下に持っていくと
    平安初期の隆々とした量感ある腰まわりが現れてくる。





    貞観から藤原への過渡期の仏像としては
    このような人間味のある表情というのはとても珍しいものだ。


    この十一面観音のまわりには数多くの破損仏が雑然と
    並べられていたのであったが中には平安初期にも
    下るのではとおもわれる像が紛れていた。







    収蔵庫の横には見上げるほど高いところに伸びた階段があり
    その先の円通殿に当初この十一面観音は祀られていたのだという

    階段の下には月光殿がありそこには
    聖観音立像が祀られていた。



    暗がりだったためよく拝観することはできなかったのだが
    こちらも平安期の聖観音立像で間違いないであろう

    当記事に記載することはできないのであるが
    「お兄さん詳しいから、本堂の仏像見てもらいたい」と
    最近、住職が檀家の人からいただいたという
    阿弥陀坐像を特別に見させてもらったのだが、
    これが鎌倉初期あたりの中央仏師作のいい像であった。

    もとは善光寺の塔頭であり、現在は真言智山派の寺院であるが
    かつては天台宗の寺院であったと伝わっている。



    長野市には日本に名高い善光寺があるのであるが
    その寺格を裏付けるかのような立派な像が少し離れた
    山のうえに隠れていることがわかりとても良い訪問となりました。





    [20120505]

    兵庫県たつの市のバイパスのすぐ脇にある
    臨済宗妙心寺派の宝積禅寺を訪問した。
    駐車場をお寺の一角へ止め庫裏にいらっしゃったご住職を
    お呼びし、ともに本堂にある十一面観音、釈迦如来立像、薬師如来立像を拝した。



    須弥壇の高いところに祀られているためすぐ近くという訳には
    いかなったが、比較的明るい空間で諸仏を拝することができた。



    十一面観音がたつの市指定、
    釈迦如来立像、薬師如来立像が兵庫県指定の文化財になっている。
    中央に立つ十一面観音は身体の損傷が激しく
    面相も補正が入っているだろうが、2m近い長身の像であり
    木そのものを意識して彫られているような印象を受ける。



    本尊十一面観音は同じ楠を三分割にして
    奈良長谷寺十一面観音と分かちた伝承が残っている。

    その十一面観音の向かって右側に
    双子のような2つの如来が立っている。
    檜材寄木造り平安時代末期の作と伝わる








    このお寺には邪鬼は夕立の化身でこれを
    踏みつけることでこの地域に夕立が来ないという
    伝承が残っているのだそうだ





    これらの仏像は地方仏師の純朴さを
    感じることができる佛たちであった






    [20120504]

    淡路島を出発した我々は大鳴門橋を渡って四国へと降り立った。
    その日はとてもよく晴れており遠くに見える屋島まで見ることができた。

    高松西のICを降りて南に進み「正花寺」を訪問した。


    正花寺へは網敷天満神社を目印に向かうと見つかりやすい。
    我々が訪問すると上原住職はお寺を綺麗にされ我々を迎えてくださった。


    御年90歳近くにもなる上原住職とは約1年ぶりの再会であった。
    このお年とは思えぬほどの若々しさに再会した。
    ここで祀られている菩薩形立像も少年のような
    若々しさを感じるのであるが上原住職も1年前と全く変わることなく
    明朗な説明を我々に説いてくださった。



    菩薩形立像はカヤの一木で内ぐりは施さない。
    唐招提寺伝衆宝王菩薩立像と酷似しているが
    頬のふくらみから少年らしさを醸しだしている。
    石帯の上部から衣が垂れ下がる表現など非常に見事である。







    今回上原住職から聞いた話としては
    たまたまさぬき市にある願興寺の聖観音坐像を修理に来ていた
    仏師が正花寺をたまたま訪問し、とんでもない仏像を発見したと
    見出された仏像だそうだ。

    それからというもののあっという間に重要文化財の指定まで登り
    昨年LEDライトが備え付けられた収蔵庫が建ったという。

    上原住職は今後この仏像を後世にどのように受け継いでいくか
    思慮されていたが可能な限り地元の人の手によって
    大事に護られていってもらいたいと思うのであった。





    地域と寺を繋ぐ仏像がそこにはありました。



    [20120503]

    4月末の連休を利用して福島県の大内宿へ訪問した。
    大内宿の紀行はあとで記載するとしてその帰り道
    小野観音堂」に立ち寄った。



    以前大内宿を訪問した際にカーナビに写った
    「小野観音堂」という名前が気になり
    この機会に訪問を決めた。

    場所は大内宿の玄関ともいうべき交差点の角にあるのだけれど
    カーナビには写るが観音堂自体がない。よくよく付近を
    探してみると「小野観音堂」への矢印が立ち
    その先には傾斜30°はあろうかの急坂がある。


    そして急坂を登り切った、その頂上に小野観音堂は存在した。
    小野観音堂は東国山満願寺の眷属仏堂として大雄得明和尚が
    本地仏である十一面観音を祀り創建したとされる。





    実はこの十一面観音は前回の訪問ののちに調べたところ
    60年に1度の開帳であることがわかっていたのだけれど
    観音堂に足を運ぶことで何かしらわかるかも
    しれないということで足を運んだのだった

    案の定、わかっていたとはいえ
    観音堂への扉は固く閉じられており
    小さな格子越しに見える中にも扉が開かれて様子はなかった。



    しかしながら重厚な観音堂の雰囲気は
    中の様子からも存分に感じることができた。



    帰り道駐車場のほうへ向かうと
    地元の方が農作業をやっていたのが見えた
    思い切って話をかけて観音堂の件を色々伺った

    ・5、6年ほど前に開帳があった。
     その時は60年ぶりの開帳だ、と話を聞かされた

    ・地元民の間では今後10年ごとくらいで開帳しようとか協議している


    そしてここに明記することができない
    仏像に関しての重要な点についても教えていただくことができた。

    このような地方の開帳情報はほとんど流れることがなく
    こまめに確認をする必要があるのだけれど
    この景色を味わうだけでも、足繁く通ってみたいと思う。










    [20120502]

    兵庫県の太子町にある斑鳩寺
    いかるがでら」「はんきゅうじ」と云われている。

    山門の前に車を停めて境内に入ると
    さすが聖徳太子のゆかりの地であることを物語るかのように
    広々とした境内が目の前に広がる。



    拝観のお願いをしお寺の方に付き添われ
    境内の一角にある収蔵庫へと案内された

    収蔵庫には様々な仏像が祀られており
    全体的には鎌倉期~室町期の仏像が多く琉美な世界が広がっている



    中央に祀られていた日光菩薩、月光菩薩は
    国の重要文化財に指定されている仏像であるが
    この二尊はどこかで見たことがある、、とそんな思いがした





    記憶を辿ると長野県麻績村にある福満寺で出会った
    日光菩薩、月光菩薩に像高や流麗さが近しいなぁと

    珍しい摩利支天像や、いかつい顔をした愛染明王像など
    個性的な仏像に埋め尽くされた空間であった














    しかし、この世界観はこの収蔵庫だけではなかった。

    お寺の方に特別に案内された聖徳殿奥堂の奥で
    「植髪の太子」と呼ばれる、本物の髪の毛が植えられた
    聖徳太子像と対面することができたのであるが
    まさに生きている仏像があったのだ。



    髪の毛と言えば京都、六波羅蜜寺にある地蔵菩薩が
    実際の髪の毛を持っているが、実際に髪の毛が植えられた
    仏像は誠に珍しい。

    像との距離が少しあったものの
    その迫力に圧倒されてしまった。

    生きた聖徳太子像におろおろと怯んだまま
    本堂へと案内され2/22-23に開帳がある本尊と対面した

    重厚な厨子に納められた釈迦如来・薬師如来・如意輪観音は
    全て国の重要文化財に指定されており、
    丈六のどれも個性的な面相をした仏像たちである





    顔は古風であり、この作者は仏像が日本に伝来した頃、
    まさに聖徳太子が生きていたころの仏像を連想させるよう
    造立に携わったのは明らかである。

    様々な時代の特徴を有した仏像が
    一つの寺院でこれだけまとめられているのは
    大変貴重だろう

    聖徳太子が一生懸命普及させようとした
    仏教の根源世界の一片を感じたような気がした。






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    迦楼馬 (03/27)
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    孔雀明王 仏像 愛知県で 検索中です。
    時折 孔雀明王の真言を 寝ているとき 唱えています。
    名古屋に 孔雀明王が ご安置 されている寺社は ないかなぁ
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    不空さん

    神像もたせてもらえるんですかw
    安産寺年明け御礼参りをさせてもらう予定です。
    ことし一年お世話になりました。

    不空 (12/17)
    正覚院 → 正覚寺

    不空 (12/17)
    安産寺が一番というのは、今年を表してるね! それにしてもたくさん相変わらず行ってるね!だめだよ、地蔵尊に怒られるよ(笑) 山形のは、開けてくれて良かったですね、巨

    株取引の流れ (11/20)
    とても魅力的な記事でした!!
    また遊びに来ます!!
    ありがとうございます。。

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