然るを訊く
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    [20070323]

    二日目

    朝、軽く寝坊して焦って軽く判断力を失います。。

    最初は大宰府



    ここ2年前に訪れていましたがまたまた健康と発展を祈願してきました
    本日はどーやらソーラン節の大会らしく
    おんなじ衣装を着た若い人たちがたくさんいて、みんな金パチ先生で
    フィーチャーされていたソーラン節を踊っていました。


    自分はこの大会の審査員の人になったら大変だろうなーと
    思ったり。おんなじ踊りをずっと見させられるのはウンザリすると思います。。


    まーそんなことは置いといて
    大宰府にある九州一の良質の仏像がそろっている観世音寺
    ここも二回目です。









    やっぱ、ここの馬頭観音はデカクて迫力があるね!
    そして前回詳しくみていなかった

    兜跋毘沙門天立像


     

     

    日本で最古の大黒天




     

    なんかをジロジロと細部まで見てくることができた。

    今は豊作の神、商売の神とあがめられてこんなニカーっとした顔を
    している大黒天だけれど




    もともとは戦いの神として、
    ここの大黒天のようにスマートな格好をしていたのだという。

     

    やっぱ時代によって人も仏像も変わるのですね。

     


    で、博多へリターンし
    【博多だるま】というこれまた有名なラーメン。
    行列に並びました。




    こちらラーメン






    油がうっすら浮いていて、味濃いーと思いきや
    スープを飲み干せるくらい旨かった。またシット

     

    ラーメンの後は福岡九州近くにある
    志免町炭鉱跡へ。

    写真をたくさん撮りました。











    ----------------------------------------------------
    主力エネルギー源が石炭だった時代、
    九州と北海道にはいくつもの炭坑が存在しました。
    九州では特に福岡県大牟田市の三井三池炭坑や
    長崎県高島町端島の三菱高島炭坑(軍艦島)
    が有名ですが、この他にも中小規模の多数の炭坑が操業していました。

    福岡市周辺の粕屋炭田においては1889(明治22)年、
    現在の須恵町に旧海軍が第一坑を開いて採掘が始まりましたが、
    ここの業績は芳しくなく、1906(明治39)年に現在の志免町に開いた
    第五坑からが一般に志免炭坑と呼ばれています。
    竪坑櫓は1943(昭和18)年、
    より深い地層からの採掘作業のために建設されたもので、
    この地下には深さ430mの竪坑があります。
    なお、志免炭坑の最深部は地下600mです。
    志免炭坑は戦後、旧運輸省管轄を経て1949(昭和24)年からは
    旧国鉄の直営炭坑となり、
    蒸気機関車へ石炭を供給してきました。
    しかしエネルギー源の石油への転換に伴い、
    多くの炭坑とともに志免炭坑も1964(昭和39)年に操業を停止しました。
    閉山後、関連施設はほとんど撤去されましたが、
    竪坑櫓は解体が困難なため結果的に取り残されています。
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    遠くから見てもわかるこの建築物は近くで見ても
    やはり異様な雰囲気を放っていました。
    これが60年以上の建築物には到底思えません

    ある意味この先60年後にはこんな建物がそこらじゅうに生まれてくるような気さえしてきます。





    福岡の最後に訪れたのは嘉穂劇場









    ----------------------------------------------------
    1931年(昭和6年)、
    当時の嘉穂郡飯塚町で伊藤隆により設置される。
    前身は1921年(大正10年)に大阪・中座を模して建てられた木造3階建ての
    「株式会社中座」であり、1928年(昭和3年)に焼失し、
    翌年に再建されるも1930年(昭和5年)の台風で倒壊した。

    観客は当時筑豊地域の中心産業であった
    石炭炭鉱の労働者とその家族が中心で、大衆演劇や歌手の公演などで賑わった。
    しかし石炭産業の衰退もあって、1962年(昭和37年)には延べ266日であった公演数は、
    1970年代には10~15日に落ち込む。

    こうした事態を打開すべく、隆の死後経営を引き継いだ娘・栄子の奮闘もあり、
    1979年(昭和54年)から毎年9月に九州演劇協会による
    「全国座長大会」が開催されるようになったことや、
    レトロな雰囲気が人気となり、近年では、年間30~40日の公演が行われていた。
    2000年(平成12年)7月30日には椎名林檎のライブ会場に使われた。

    2003年(平成15年)7月19日の大雨により、
    劇場がある飯塚市の中心部一帯が浸水し、
    客席や舞台、花道等が浮き上がり、1階内部が使用不能になる被害を受ける。
    九州演劇協会会長・玄海竜二より連絡を受けた
    津川雅彦らが芸能人仲間に呼びかけ、中村玉緒、明石家さんま、
    中村勘九郎(現・18代中村勘三郎)ら大物が駆け付けた
    復旧チャリティイベントが行われ、イベントに先立ち飯塚市中心商店街で
    「お練り」も行われた。
    このイベントでは、田村正和や木村拓哉らの私物がチャリティオークションにかけられ、
    東京でも滅多に無い豪華なイベントとして話題となった。

    wkipediaより
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    自分の事前リサーチの間違いで
    実はこの日、講演が入っていて本当は見学はできないハズでした。


    しかし、入り口のおばちゃんが【東京から来たんなら、ちょっと入れてやるわ、ちょっと待っとき】
    とこっそりと中を見学させていただくことがきました。

     

    上の説明を見てもわかる通り、この劇場自身が経験した繁栄と衰退、
    それにかかわる人がこの建物を後世にまで残していきたいという想いが
    自分の見たこの日までほとんど同じ景色を残しているんだと感じました


    そして福岡を後にして山口県へ


     

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    不空 (12/17)
    安産寺が一番というのは、今年を表してるね! それにしてもたくさん相変わらず行ってるね!だめだよ、地蔵尊に怒られるよ(笑) 山形のは、開けてくれて良かったですね、巨

    株取引の流れ (11/20)
    とても魅力的な記事でした!!
    また遊びに来ます!!
    ありがとうございます。。

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