かつて酒見の少彦名神社の本地仏と伝えられていたが、明治初年(1868)の神仏分離の時に龍護寺に移された。伝存する数体のなかで最も保存状態の良好であるのが、この薬師如来坐像である。他の如来・菩薩・天部像は、朽損が著しいが、一木造と背刳の構造を知るための参考品として、このうちの4体が金沢大学教育学部へ寄贈されている。構造は、一木背刳、添木式、彫眼、両手後補、白毫は水晶で八角。膝と両手を矧ぎ合わせ、背中から中を刳り抜いた一木造の坐像である。全体に穏やかな平安後期に近い作風があらわれてはいるが、まだ重々しい感じが漂うところがあるので、平安中期の作品と推定される。破損も少なく保存がよい。こうした背刳技法を用いる像は古くて、県内でも数少ない遺品といえる。胎内には、宝永3年(1706)9月に能登所口(現在の七尾)の中川吉右衛門良秋修理の墨書銘がある。昭和60年「石川の文化財」より
2011-08-20(Sat) 12:28 | URL | #- [ 編集 ] ▲
2011-08-22(Mon) 08:33 | URL | #- [ 編集 ] ▲