然るを訊く
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    [20110819]

    高田寺をあとにして
    能登半島の先端を目指した

    能登半島の先端へは自分の過去の記事を
    見ると2007年に訪問していた

    記憶を辿ると、前日に七尾市にある
    インターネットカフェで夜を明かし
    翌朝、夜明け前に車を飛ばして
    金剛崎へと行き、能登の海から昇る
    日の出を拝んだ、あれ以来だ

    [20070501]
    http://andon21.blog85.fc2.com/blog-entry-17.html

    ※当時の自分※


    海に面して須須神社の鳥居が立つ



    宮司の猿女さんの予定が忙しいらしく
    なるべく早く来てもらいたいということで
    高田寺から急いで須須神社を目指し
    予定よりも30分ほどはやく到着することができた

    参道をのぼる中、まとわりついてくる蚊の大きさが
    海の近さを鮮烈に感じさせてくる





    本殿の前で猿女さんと出会い
    収蔵庫にある、五体の男神坐像を排した



    鎌倉初期と推定された像たちは
    いずれも個性的なポージングをしており
    形式化されていない










     

    このような立体的表現かつ動きを
    感じさせるのは鎌倉時代という時代背景なのか
    それともそもそもの作者が仏像に縁があったからなのか
    想像を巡らすと面白い

    木目がオーラのように見つめていると
    木像たちが揺らめいてくる


    この5躯の男神像は、檜材、一木造、彫眼。頭部に巾子冠を頂き、袍衣に身を包み、
    胸前に手をこまねいて坐するもので、手の上あるいは下辺から膝部を矧ぐが、
    膝部の矧木は全て欠失している。本来は彩色されていたものであるが、
    痕跡がわずかに残るのみで、ほとんど剥落している。正面を向くものと、
    左斜あるいは右斜を向くものとがあり、加えて頤に髯を彫り出すものと、
    髯の無いものとがある。このように面貌などに多少の相違はあるが、
    寸法・形状などから、これらは一群の神像と見なされ、鎌倉時代後期の制作になるものと考えられる。
    なお、須須神社は、通称「三崎権現」、「三崎明神」と称して仰がれ、
    高座宮と金分宮との総称であるが、元来は高座宮で、金分宮は後世に合祀されたようである。
    延喜式内の古社である。

    昭和60年「石川県の文化財」より



    猿女さんと別れたあと境内を一人で散策したのだが
    子連れの獅子などに出会うことができた



    散策のあと、海を見ながら暫しボーっと
    ゆったりとした時間を過ごした

    近所の少年たちが海を遊び場に楽しんでいたが
    海なし県に育った自分には出来なかった経験であり
    とても羨ましい視線を送ってしまっていた






    須須神社縁起
    当社は高座宮(たかくらぐう)・金分宮(きんぶんぐう)の両社に御夫婦の大神を祀り、
    須須神社と称し「三崎権現」「須須大明神」と尊崇され、東北鬼門日本海の守護神として、
    あまねく信仰され、災難除けの御神徳あらたかな御社である。
    第10代崇神天皇(約2000年前)の御代能登半島最東北端の山伏山(鈴ケ嶽)の頂上に創建され、
    天平勝宝年間に現在の地に遷座しました。
    国史「三代実録」によると、貞観(じょうがん)15年(873)8月4日従五位上の神階を賜わった、
    延喜式内の古社で、社伝によれば用明、元正両天皇より勅使の献幣があり足利時代は
    大宮司猿女(さるめ)氏以下、社人社僧多く、別当寺に十二坊、社領三千石が献納されており、
    天正12年(1584)加賀藩主前田利家公が巡国のみぎり御祈願所と定め、
    社領として神田五町歩(石高七十五石)を寄進し、武運長久の祈願をされております。
    古代より縁むすびの神として、世に知られており、この「むすび」とは、
    ただ単に男女の仲を結ぶだけではなく生成化育、修理固成という
    日本民族の根本精神である神業(かみわざ)を、みずから妹背(ふうふ)の
    契を結び子孫繁栄の道を示し教えられた尊い祖神(おやがみ)さまであります。
    また祭礼は珠洲一郡の総社として「お郡祭(こうりさい)」
    「御出御幸(おいでごこう)」と称し郡内巡行の祭儀が半月がかりで
    近年まで斎行されていました。
    奥宮鎮座地の山伏山(標高172m)は山容優美にして海上からの景観は、
    鈴をさかさにしたような典型的な神奈備の霊山で、原始時代から北海航行の目標、
    漁だめの森、御神体山として崇拝され、平安中期(約1200年前)には
    海上警戒の設備を置き、烽火(のろし)(狼煙(のろし))が一たび、
    あがると郡家で受継ぎ国府、そして京の都へ伝達されたと云われている。
    元禄10年(1697)加賀藩へ出した大宮司書状によるとすでに
    奥宮の中腹に大燈明堂が設けられ、一夜に油一升、燈心布三尺をもちい、
    夜ごと大神に献燈し、北海暗夜、渡海船を守護し、この燈明堂が
    明治初年現在の禄剛崎灯台に進展したものです。
    本社社叢(もり)は千古の昔から神域として保護され、北部照葉樹林の、
    うっそうたる原生林をなし境内約一万坪には、スダジイをはじめ、タブノキ、
    ヤブニッケイ、ヤブツバキ等が混じり、林床にはミヤマシキミの
    純群落が見られ約250種の植物があり、国の特別史跡名勝天然記念物に指定され、
    貴重な存在とされております。






    コメント

    □  from 不空

    (鎌倉時代の神像は)いずれも(没)個性的なポージングをしており
    形式化されてい(る。)ない

    ( ) が正当じゃないの(笑)

    2011-08-20(Sat) 13:12 | URL | #- [ 編集 ]


    □ 不空さん from yoshiki

    いや、自分が感じているのは文章の通りですね。
    しかしいずれにせよ、神像はさすがにあまり多くみれていないので
    もっと経験をつまなければと思いますw

    2011-08-22(Mon) 08:32 | URL | #- [ 編集 ]



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    とても魅力的な記事でした!!
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    ありがとうございます。。

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